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【自分の中に世界がある】

【自分の中に世界がある】

『世界の中に自分がいるのではなくて、

自分の中に世界がある』

自分の中の本当の自分、

真我(ハイヤーセルフ)の存在に気づくかどうか?

これが人生の分岐点になります。

真我に気づけば、

霊性意識を進化・向上させることができますが、

気づかなければ、

エゴに終始して人生を終えることになります。

テレビ・ラジオ・新聞・ネットニュース等、

外界の情報に接していると、

世界の中に自分がいるという意識が強くなってしまいますが、

田舎で一人暮らしをして、

情報を遮断していると、

『自分の中に世界がある』

と、わかってきます。

これについて、

世界中の皇室や政財界トップリーダーたちのメンターを務める “ スピリチュアル界の巨星 ” ディーパック・チョプラ医学博士は、著書

『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』
(訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)

の中で、こう述べています。

「『私はこの世界の中にいるのではなく、世界が私の中にあるのだ。

私は体の中にいるのではなく、体が私の中にあるのだ。

私は心の中にいるのではなく、心が私の中にあるのだ。

私が自分自身の中で曲線を描いて振り返り、そして創造するとき、

体と心と世界が同時に私の中で起こる』

(中略)

通常、私たちは自分自身のことを、

ある場所に、ある町に、ある国に、ある世界に存在している人と考えます。

しかしこれは本当の現実ではありません。

その逆です。

世界が私たちの中に存在しているのです。

私たちが『体と物質世界』と呼んでいるものは、

私たちの意識の中に投影されているものです。

私たち抜きには――その『存在している私』抜きには、世界は存在しません。

理論物理学者でアルベルト・アインシュタインの共同研究者だったジョン・ホイーラーは、

意識的な観察者がいなければ宇宙は存在しないと言いました。

意識的な観察者は、蚊かもしれませんし、

私かあなたかもしれません。

陽極と陰極がなければ電流が存在しないように、

創造者と創造物を観察する誰かがいなければ物理的な宇宙も存在できないのです。」(203頁〜204頁)

「世界は私たちの内側に存在しているのであって、

私たちが世界の中に存在しているのではありません。

これは難しい概念で、

これを頭で理解するには一生かかるかもしれません。

しかし実践的な観点からは、

あなたが次に木を見るとき、

何か自分以外の他の存在を見るとき、

またはどんなものを見るときでも、

ただ自分にこう言ってみてください。

『あの木は私の中に存在している。

あの存在は私の中に存在している。

星や銀河や、このテーブルや椅子――すべてのものは私の中に存在している』

もし自分自身にこう言えば、

まもなく私たちはそれについて知っているという状態になっていることに気づくでしょう。

もし私が自分に『この木は私の中に存在している』と言えば、

私はこの木を愛するでしょう。

もし自分に『あなたは私の中に存在している』と言えば、

私はあなたのことを愛するでしょう。

そして遅かれ早かれ、

私は存在しているすべてのものと親しい関係を持つでしょう。」(207頁)

「あなたの内側の世界で起こっているここと、

あなたの外側で起こっていることに違いはありません。

外側の世界は、ただあなたの内側の世界を反映したものに過ぎません。

世界はあなたの心を映し出す鏡で、

あなたの心は世界を映し出す鏡です。

しかし、あなたは自分の心でもなく、世界でもありません。

あなたは両方の創造主なのです。

この考えでさえ、部分的に真実であるだけです。

なぜなら、

そこには内側の世界も外側の世界もないからです。

そこには1つの存在それ自身が相互作用している、無限の意識があるだけです。

これが創造の神秘です。

私たちの内側で考えることは何でも、

時空間の中で私たちがそのものになり、それだけが経験されます。

(中略)

ヴェーダンタではこう言っています。

『心の中にあるどんなものでも、雲の中にある町のようである。

この世界の出現は、考えたちが自分自身を現わしているに過ぎないのだ。

これらすべての世界は意識の部分的な変更に過ぎず、

そして無限の意識の中で私たちがお互いをつくり出したのである』」(210頁〜211頁)

「『対象依存的』とは自分自身を、セルフイメージや自分の経験の対象、

つまり外側にあるものに重ね合わせてしまうことです。

経験の対象には、状況や、環境や、人や、物などが当てはまりますが、

自分自身を定義するために自分の外側にある対象を引用するとき、

私たちは対象に依存した形で考え、行動しています。

対象依存的な人は、評価し、理解し、他人の目を通して自分自身を知ろうとします。

対象依存の特徴は、制約された思考と制約された反応であり、

社会的制約の催眠状態で生きるということなのです。

対象依存の最初の兆候は疲労感です。

なぜでしょう?

それは私たちが気にしている対象に自分自身のパワーを譲渡してしまったからです。

究極的には、これが私たちの体の中で不快感や病気まで引き起こしてしまいます。

対象依存が不幸せの基本的な原因で、

そしてヴェーダの世界観では、

幸せが健康上で最も重要な要素なのです。」(143頁〜144頁)

「対象依存の反対は自己完結です。

『自己完結的』でいるとき、

私たちは自分を、変わることのない魂の本質である内なる自己によって認知します。

私たちはどんな情勢や、状況や、環境に置かれていても素晴らしい気分を味わいます。

なぜ常に素晴らしい気分でいられるのでしょう?

それは自分のことを置かれている状況で認知せず、

状況から分離された『静かな目撃者』として存在しているからです。

それは自分が何者であるかについて誰からもおびやかされることのない安全な状態です。

そして、そのことを誰かに証明しようとする願望もない状態です。

もし私たちに自分が何者であるかについて誰かに証明したいという願望がある場合は、

私たちは再び自分を、他人の目を通して評価することとなるでしょう。

自己完結的でいることは喜びの根底となる内側の意識状態であり、

理由のある幸せとは異なります。

もちろん、幸せに感じる理由は常に存在します。

誰かに『あなたが好きです』と言われたら、あなたは幸せに感じるでしょう。

宝くじで1億円当たったら、あなたは幸せに感じるでしょう。

この種の幸せは、あなたはこうだから、ああだから幸せだという対象依存的な表現です。

しかし内なる喜びは情勢や、状況や、環境や、人々や物事から独立しています。

あなたが内なる喜びを経験するとき、

あなたは理由もなく幸せです。

ただ単に、生きていて星を見つめ、

この世界の美を経験しているという事実や、

生命の奇跡の中で生きていることを実感していることがあなたの幸せなのです。」(146頁〜147頁)

「あなた自身の経験が対象依存的な場合、

それは恐れに基づいていて、

あるがままの状態に抵抗しています。

あなた自身の経験が自己完結的な場合、

それは愛に基づき、

あるがままの状態を受け入れています。

自己完結的な人は自然で、

他人の意見に影響されません。

彼らは無邪気で、シンプルで、子供のようです。

『神様、私をただ単に今ある状態のようにしてくれてありがとうございます。

私には良いところも悪いところもあって、すべての物が自分の中にあります。

私は完全です』

自己受容――完全な自己受容は自分を許すことです。

あなたが自分自身を許し、

自分自身を裁くことをやめたとき、

あなたは他人を裁くことをしなくなります。

そして、世界の争いごとが減っていくでしょう。」(158頁〜159頁)

人生は、

バーチャル・リアリティのロールプレイング・ゲームのようなものです。

すべては自己意識の進化と向上の為にあります。

物質世界は幻想であり、精神世界が本当の世界です。

宇宙意識だけが、唯一の実在です。

すべては宇宙意識の自作自演のドラマであり、ゲームです。

このゲームのゴールは、

地球をユートピアにすることです。

その為に自分はどんな貢献ができるのか?

自分に与えられた天性とは何か?

それを活かして、どう活躍するか?

一生をかけて追究していく課題です。

心の豊かさ(知識・智慧・叡智)を追究しましょう❗

汝は神なり、愛と光なり。

汝は救世主なり。

世界中の一人ひとりが救世主❗

『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』
(著者 ディーパック・チョプラ 訳者 渡邊愛子 フォレスト出版)



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