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輝かしい移住、輝かしくない移住
もうすぐ移住歴10年目を迎え、移住という言葉を、全然使わなくなった移住者です。
ここまでで、『移住』という言葉を久しぶりに6回も使いました。さて、東京から、沖縄、三重を経た移住ライフですが、本屋さんには田んぼの目の前でいい感じの風貌をした若者移住者の写真が映る地域移住系雑誌などが立ち並ぶわけです。
さて、この10年。
たしかに田んぼの近くに住んでますし、農家さんの田植えの撮影にもいき、来週は稲
タイムリープという要素を持たせつつも実は現実的な設定である東京卍リベンジャーズの面白さ
鬼滅の刃、呪術廻戦に次ぐブームが起きている東京卍リベンジャーズ。
一見ヤンキー漫画と思える、このタイムリープサスペンス漫画は巻を追うごとにファンの心を掴み、そして先が気になって気になって仕方がない衝動にさせる。
なぜここまで面白いのかを考えてみると、ヒットするのが必然であることがわかる。
わかりやすい舞台背景に追加されたキャッチーなテーマ要素週刊少年マガジンからは、有名なヤンキー漫画がいくつ
ほとんどの人にとって、ほとんどの世の中の物事はなぜそれが正なのかは問われなくてもいいものだ
鬼滅の刃がなぜ流行ったのか?その後の呪術廻戦、そして東京卍リベンジャーズがなぜ人気の作品なのか。
なぜマリトッツォが流行ってるのか。
そんな問いは、ほとんどの人にとっては無意味なことだ。
世の中のムーブメントは起きるべくして起こっており、言い換えると誰かによって起こされたものである。
ただ、この世の中で一番良いものが今この瞬間に流行しているわけではないということ。
東京卍リベンジャーズは
僕らはドラゴンボールと共に大人になった
大人になると時が経つのが早い。1日1日があっという間に過ぎてしまう。「ああ、今日もなんて不毛な1日を過ごしてしまったんだろう。」と1日を終えて思ったことのある大人も少なくはないだろう。
今年で34歳になる僕は、24歳の時「あと一年で25歳になってしまう。四捨五入をしたらもう三十路だよ・・・。」なんて考えていたけど、その10年がまるでつい最近のように思える。
10年なんてあっという間だ。
「ド
なんだかよくわからないけど、評価されているからきっと「美しいもの」なんだろうというものはこの世に沢山ある
「これは美しいものです」
そう伝えてくれる親切なデザインはこの世の中に沢山ある。
「今すごく人気ですよ」
そう言われたら、価値のあるものに見える。
「あの人がいいね!をしている」
それの気づいたら、この情報は確かなものに思える。
「自分自身で見た光景を美しく思う」
それってどんな時だろうか。
朝起きて、デスクに座るとカーテンの間から光が溢れる。
なんともない光景だけど、僕にとってはこれが
呼ばれたことのない僕の『神社に呼ばれる』に関しての解釈
「神社に呼ばれる」
神社が好きな人と話をするとめちゃくちゃ耳にするこの言葉。
僕も神社は本当に大好きで、お詣りするのですが、「呼ばれた」ことはありません。
「呼ばれる人」ってそれこそ霊感とか何かしらのものを持っている人か、スピリチュアルなかたなのかな?
そういった話をされると、それこそ何者かに呼ばれた経験はないので、「ほぉ、そうなんですか。僕はその感覚わからないのですが、すごいですね。」
仕事も良いけど、鬼滅も読もうぜ
12月4日0時、僕は仕事を放り投げた。
LINEマンガで購入したよ。鬼滅の刃の23巻。
今月は納品しなくてはいけないものが沢山ある。
きっと毎日が徹夜だ。仕事は楽しい。お客さんにも恵まれている。
共に良いものを作る支援をさせてもらえて、幸せだ。
SNSでもお客さんとはつながっている。だからこの記事も見られるだろう。
作業デスクから離れ、ベッドの上でLINEマンガで鬼滅の刃を読む30分。
そして
これまでの自分が培ったものをアウトプットすることは「料理」にも通じている
最近、案件が増えてきてなかなかSNSに顔を出せていないが、
作業用PCの横の別のPCで、ここ数日はNetflixでこちらのアニメを流していた。
「食戟のソーマ」。ジャンプで連載していた漫画が原作のアニメ。
20代前半までジャンプを毎週買っては読んでいたので、この漫画は少し読んでいたが、当時は「料理」がテーマということでそこまで興味はなく、めんどくさい時は読み飛ばしていた気がする。
しかし、な
デザインで余白が大事なように、生活においても余白が大事。
みなさんの生活には余白がありますか?
営業職についているサラリーマンの方々、
売上をあげるための本やセミナーばっかに目を向けていませんか?
PDCAやKPIとかも大事かもしれないけど、たまにはエッセイでも読んでみてはどうだろうか。
たまの休日にアートを感じてみてはどうだろうか。
読んでも売上には直結しないかもしれない。
読んでも技術には直結しないかもしれない。
それでも、結果的に生活に余