デザインで余白が大事なように、生活においても余白が大事。
みなさんの生活には余白がありますか?
営業職についているサラリーマンの方々、
売上をあげるための本やセミナーばっかに目を向けていませんか?
PDCAやKPIとかも大事かもしれないけど、たまにはエッセイでも読んでみてはどうだろうか。
たまの休日にアートを感じてみてはどうだろうか。
読んでも売上には直結しないかもしれない。
読んでも技術には直結しないかもしれない。
それでも、結果的に生活に余白ができ、良い仕事ができるかもしれない。
コロナ。
この言葉ひとつで全国、全世界のひとたちの生活や仕事の状況や背景が想像できるからすごい。
だからこいつのについてはこれ以上何も言わないけれど、
それでもこいつが与えた悪影響だけでなく、こいつのおかげで見つめなおしてみたひとが多いんじゃないだろうか。
これまでの日常の生活を。
自宅で菜園を開いたひと。
部屋の模様替えやDIYをしてみたひと。
YouTubeを始めてみたひと。
これまで忙しくてできなかったこと、でも時間があってやってみようかなと思って始めたことっていうのを、実際にこのタイミングで始めたかたって結構多いと思う。
【僕がこいつのおかげで始めたこと】
・自宅の庭に畑を耕した。
・誰かのエッセイを読むようになった。
・noteに何気ない日常を書くようになった。
・東京で自宅から出れない友人と一緒にスマホのMMO系のオンラインゲームを始めた。
・田んぼの道を散歩するようになった。
・自宅でBBQをするようになった。
・キャンプに興味を持ち、収束後に向けてツールを集め始めた。
・現代アートに興味を持った。
仕事ばっかやっていたけれど、こんなにも仕事以外の時間の使い方ができるようになった。
思うんです。
デザインって細かなとこまで調整するぐらい余白の使い方が本当に大事で、それだけでもひとに与える印象って全然変わってくる。
歌がめちゃくちゃ上手いけれど、教科書のように丁寧な歌声の歌い手よりも、癖のある声の歌い手の味って本当に素敵。
芸能やアートは生産性がない。
今回、そんな声も聞こえてきましたね。
「確かに生産性はないけれど*****」っていう声も聞こえてきましたね。
芸能やアートって衣食住に直結してなくても死にはしないかもしれない。って思っているかもしれないけれど。
芸能やアートを感じていないと死ぬひとってめちゃくちゃ多いと思う。
生活に余白を与えてくれ、脳が回転し、研ぎ澄まされワクワクする。
アートなんか面白いですよね。
作品を作った人はその作品についての親切な説明はしない。
説明書がない。
そのアーティストが誰のためにどんな想いをそこに落とし込んで、その時の心境なんて、説明しない。
説明をしないことの美しさ。
細かな説明書や注意書きが多い、そうじゃないとクレームが出てしまう日本にはつくづく生産性のないものと思われてしまうのかもしれない。
そのために説明がなくても皆さんが使える親切なデザインが生み出されている。僕もそんな仕事をしているけれど。
親切なデザインと説明しないアート。
だからアートが好きだ。
この絵を持つとこんな効果がある、こんなメリットがある。
海外にはお金や信用、ステータスという価値がつくけど、日本ではそこまでその文化はまだない。
それでも数値化できない、可視化できないところの価値というのは人それぞれの中にあると思うんですよね。
部屋になんかわからんけど、その作品をみたときに自分がこう感じることができたから置きました。
そんな作品が生活の余白につながるのではないでしょうか。
きっと日常は少し変わるでしょう?