- 運営しているクリエイター
記事一覧
為末大「当事者になるつもりがない人」
為末さんの「体幹について」という記事を読んだ。
すばらしい論考だった。思考の跡が読み取れる。長年、身体を観察してきたものにだけ開かれる世界である。丹田の感覚を詳しくいうために、『聖中心道肥田式強健術』に膨らませていってもいいのだけど、今回は違う話をしたい。
世界観を言葉にできる人というのは少なくて、為末さんの言葉にはちょうどよい芯がある。ブログの「Think」部分を、過去にさかのぼって読んでみ
なぜ社会は好きなことをやる人を支援するのか
「リスクを取って好きなことをしても構わないが、自己負担で行うべきだし、自己責任で行うべきだ」という考え方があります。主にアスリートやアーティスト、また自営業者、起業家など、組織に属さない人に言われる事が多い印象です。確かに好きなことをやるのは自分の負担でというのは納得しやすいですが、一方で本当にそれは社会にとって良い形なのでしょうか。
ゴッホ美術館がオランダにあります。ゴッホにはテオという兄弟が
素直な人とイエスマンは何が違うのか
素直であることと、ただのイエスマンの違いがわからないという質問がありました。
これは確かに微妙なところで、素直さはただの従順さになりえます。また教える側も、実際には相手を従順にさせコントロールする為に素直になれと言っていることもあるかもしれません。では、違いはどこにあるのでしょうか。
私は、素直であるということは行いながら感じているということだとしています。一方ただのイエスマンは無感覚、または感
死ぬまでにやってみたいこと
昨晩はBrightureの学生さんたちと飲みに行って、色々な話をしてきました。転職を考えている社会人もいれば、就職先に悩んでいる学生さんもおり、またある人は現在の恋人と結婚すべきなのか悩んでいたり......。若い時ってまだ大した経験もないのに、自分の一生に大きな影響を及ぼす重大な決断に色々と迫られるから、なかなか焦るんですよねぇ。僕自身にもかつてそんな時期があったことを鮮明に思い出しました。
身体に浸れる人は幸せになれる
長文ファンの皆様おはようございます。
最近「身体に浸れる人」は幸せな傾向にあるのではないかと考えています。
花が綺麗だ、これが美味しい、動いて楽しい、触れて心地よい。これらを言葉に変換せず、ただただ浸れる人です。人が幸福を感じているまさにその瞬間、なぜ幸せなのかを雄弁に論じることはあまりありません。要するに幸せは身体的なもので、非言語的なのではないかと思います。
「身体に浸る」は簡単なようで
見立てる力はどのように育まれるのか
長文ファンの皆様おはようございます。
私はクリエイティブと言われる能力は「見立てる力」に支えられていると考えています。何かになぞらえる、そうだとしてみるというものが見立てることだと私は整理しています。
例えばある形の雲を見て「キリンのようだ」と思うのも見立てです。新しいテクノロジーを「まるまるのようなものではないか」とするのも見立てです。
都市部の生活は基本的に誰かが作った人工物に囲まれて生
子供達が社会で生きていけるようにするには、社会を体験するしかない
長文ファンの皆様おはようございます。
教育の目的は様々ですが、役割の一つに「社会で生きていけるようにすること」があります。
例えば目的を海で泳げることだとします。姿勢の作り方、水のかき方など、実際に泳ぐ際に必要なことを学ぶ機会も必要ですが、どこかのタイミングでは水の中に飛び込んで実際に泳いでみなければなりません。できるとわかるは違うからです。できるためにはやってみるしかありません。
これを教
楽しむことを邪魔する自分の価値観
立派なものや社会において価値があるものは、人間の価値観の総意が決めていて、価値観がなくなってしまえば意味もなくなる。そのうえで敢えて立派なものを追いかけてもいいし、別にいいやと自由に生きてもいい。
価値観がなければ人間は悩まない。自分はどうしてこうなのかという悩みは、こうであるべきだという価値観があるから成立する。相手はなぜこうなのかという悩みは、人間は普通こうであるべきだという価値観があるから