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2020年12月の記事一覧
コトバは幸せを運んでくるものなのか、悲しみを連れてくるものなのか。
昔から言葉が苦手だ。
思ったことが思ったように伝わらない。
大切にしていることほど
口に出したとたん陳腐なものに変わってしまって
がっかりしてしまう。
それはただ自分に表す技術が足りてないだけかもしれない。
体感できれば満足だから
味わい尽くしたらそのあとの結果はどうでもよかったりする。
言葉は便利だけど偽れるものだから
言葉を介さないコミュニケーションの方がわたしにはわかりやすい。
コトバは好
受けた恩は返したくなるもの…なのだろうか?
明日、夫の友達がうちの子どもたちをスキーに連れて行ってくれるらしい。
向こうも小5と小3の子どもがいて同級生でもあるため、楽しそうではある。
しかし、うちの次男は基本ちょろちょろしてるし、リフトからストック落としたり、新雪でスキー板を迷子にしてしまったりすることがある。
迷惑かけそうだし断ろうかと思ったら、「大丈夫だから、連れて行きたい」といっていたようだ。
夫の父親はわりと亭主関白でスキーが大
年賀状とブルーノ・ムナーリ
年賀状毎年クリスマスを目安に年賀状を仕上げている。
仕上げるといっても年賀状自体はネット注文だし、わたしがしているのは宛名とひとことメッセージを添えているだけ。
わたしには「宛名と宛先は手書きで書く」というマイルールがある。
届いた年賀状を見ても9割型印字された宛名だったりする。
それだとなんとなく味気なく感じて、毎年手書きで書いている。
そして、毎年何枚かは書き損じてしまう 笑
宛名や宛先を
「見る」とは縛ること?
ハンモックヨガのときに目をつむると身体がゆるんでいくのを感じる。
家でストレッチをしているときも
目をつむったほうが強張りがとけやすい。
不自由になるはずなのに自由だと感じるのはなぜだろう?
目を開けているときには何が起きているのか。
何かを見るということは、何かに目を付けるということではないかと考えた。
「目付(めつけ)」という言葉がある。
これは監視という意味や、武道においては相対した
虎口(フーコー)と手刀と気をつけ。
太極拳を始めてからというもの、それまでの自分の体の使い方との違いがたくさん見つかって面白い。
合気道を始めたときにも同じようなことが起こっていたが、今は合気道というレイヤーに太極拳というレイヤーが重なって、今までとは違う新しい発見がある。
虎口(フーコー)太極拳では親指と人差し指で虎が口を開けた形をとり、残りの3本は人差し指に合わせて緩やかに沿わせる。
これが基本の手の形なのだが、合気道の手刀に
「悪いこと」はどうやって「悪い」と判断されているのだろう?
「やってはいけないこと」世の中で「悪い」とされていることは
どんな基準で「悪い」と判断されるのだろうか?
また、どのようにして人は
「良い」「悪い」を学んでいるのだろうか?
これまでを振り返ってみると
わたし自身「悪い」という認識がないまま
悪いことをしてきたように思う。
子どものころ駄菓子屋さんに通っていたころ
当たり前のように
道端にゴミをポイ捨てをしていた。
あるときひとりの友達が
「
はじめてのオラクルカード
絵柄がすごく素敵でなんとなく買ったオラクルカード。
いつしか積読してある本の仲間入りをしていた。
そんな観賞用だったカードをはじめて使ってみることにした。
カードの使い方を見ながらやってみる。
説明書のとおりに一枚一枚丁寧に扱ってみた。
どんどん集中していくのがわかった。
手がジリジリとしてきて、武道で気を込めるときと同じ状態になっているのを感じた。
一枚一枚カードを確認しながら丁寧に扇状に
あきっぽい自分との付き合い方
こんなお知らせが届いてた。
noteを書き始めて9ヶ月になるようだ。
わたしの中では数少ない
苦じゃなく続けていられるもののひとつだ。
noteで文章を書くのは
自分自身と向き合う時間でもあるし
知らない自分を知る瞬間でもある。
いつも思うこと。
人のことはよくわからない。
人どころか自分自身のことすら
いまだによくわからないのに…と。
そのため、
積極的に発言するのではなく
観察者でいるこ