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「悪いこと」はどうやって「悪い」と判断されているのだろう?

「やってはいけないこと」

世の中で「悪い」とされていることは
どんな基準で「悪い」と判断されるのだろうか?

また、どのようにして人は
「良い」「悪い」を学んでいるのだろうか?

これまでを振り返ってみると
わたし自身「悪い」という認識がないまま
悪いことをしてきたように思う。

子どものころ

駄菓子屋さんに通っていたころ
当たり前のように
道端にゴミをポイ捨てをしていた。
あるときひとりの友達が
「ポイ捨てはだめ!!」
と言って
自転車を降り
わざわざゴミを拾って
わたしに突っ返してきた。
その友達の姿を見て
「ポイ捨てはいけないことだ」
と初めて気づく。
それからはポイ捨てをしなくなった。


中学生のころ
同級生の間で万引きが流行り
なんとなく始めて
そのまま自分の日常の中に
定着していった。
今思うとお店には申し訳ないのだが
あのハラハラ感が
癖になっていたのかもしれない。
いつしか直感みたいなものが身について
「今日は嫌な予感がする」
そんな日は「絶対に万引きしない」と
変な決まりごとが自分の中にできた。

高校生になってもなんとなくやっていて、
わたしの影響で友達も万引きし始めた。
ある日、その友達が捕まった。
ひとりでやっていて捕まったらしい。
そこで初めて「悪いこと」なのだと自覚した。
友達に悪いことをしたなと後悔し
「もうしない」と心に決めた。



同じく中学生のころタバコを吸い始めた。
その当時、居心地のよかった場所に
タバコが当たり前に存在していて
ただそれだけで
特に疑問を持つこともなく吸い始めた。
タバコが好きなわけではなかったけれど、
吸い終わったあとに指につく
マルボロの匂いがたまらなく好きだった。
冬に窓を開けてタバコを吸うときの
あのひんやりとした空気が好きだった。
うっかり父親に見つかって、
激怒した父親に胸ぐらをつかまれた。
わたしを心配して怒っているわけではない気がして何も響かなかった。
そんなことがあっても決してやめなかった。
でも高校に入ってすんなりやめた。
たぶんそれは、自分で希望を見つけられるようになったから。


大人になってから

20歳くらいのときにバセドウ病になって
眼症も併発していたから
目が出目金のようになった。
一重だったまぶたが二重になった。
治療しているうちに
眼球突出は落ち着いてきたけれど
二重はそのまま残った。
わたしの妹も一重まぶただったが
大人になって埋没法で二重にした。
あるとき友達と遊んでいて
話の流れで妹が二重にしたことを話した。
後日、妹にその話をしたら
「ひどすぎる。話すなんて信じられない。言わないと思っていたのに!!」
そんなふうに言われた。
願いが叶って二重になったのだから
妹とって嬉しい出来事なんだろうと思ってた。
話さなくても見たらわかることだったから
泣きながら怒る妹が理解できなかった。
見た目は変わっても気持ちは変われずに
燻っていたのかもしれない。

家族ができて

2年前に家族でディズニーランドに行ったとき
夫に仕事の電話がかかってきて
その間に子どもたちと3人で
ジャングルクルーズに乗ることになった。
並ぶのに飽きた子どもたちがふざけ始めて
その度に声かけをして、注意を促した。
迷惑そうな顔をしている女性が目に入ったから
そっちに行かないように配慮した。
そうしているうちにまた軽くふざけはじめて
それくらいならと大目に見ていると
その女性にお叱りをうけた。
「親なら子どもの管理くらいしっかりしてくださいよ!!」

長男の顔がどんどん曇っていく。
次男はなんにも気にしていなくて
すぐにちょろちょろし始めて
またその女性がいる方へ。

気づいていたし回避しようとしていた。
それが無駄に終わり虚しくなった。
夢の国で長男にこんな表情をさせてしまったことが悲しかった。
次男に伝わらないことにも虚しさを感じた。
虚しさと悲しさで涙が出そうになって
それをなんとかグッとこらえた。

同じボートになりそうだったから
キャストの方に話して
別のボートにかえてもらった。

これは正直言って「良い」も「悪い」もない気がする。
わたしにとってはとても悲しい出来事だけど
立場が違えば
「良い」「悪い」の基準も変わるのだ。

「良い」と「悪い」の境界線

人を傷つけたり、人が悲しんだり怒ったりすることで「悪いこと」なのだと知っていく。
そんな体験によって「良いこと」「悪いこと」
の基準を自分の中に作っていく。
体験からしか学べない自分のプラスの要素とマイナスの要素でもある。


「良い」「悪い」は時代によって
立場や人の価値観によって
変容していくものだから、
そこに固執することなく
事実だけを見て
「自分ができること」
そのことだけに集中して
その範囲から出てしまったことは
潔くあきらめてゆくことも
必要なんだろう…
そんな気がしている。

それでもモヤモヤしてしまうときは
車の中で思い切り
「くそったれー!!」
と叫ぼうと思う。
わたしにとっての「くそったれー!!」は
叫ぶと楽しくなる魔法の言葉だと気づいたから。


今日もあなたが心の安らぎと幸福感に気づけますように♪



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