『COMOREBI』
取り留めのない思いをつづる。
忘れっぽい自分用の収納箱として
そして整える。思考整理のための紡ぎことば。
その月ごとの雑多な記録。
官足法や千島学説について記録。 また、足への疑問や発見など好奇心の赴くままに書いています。
身体の内側がざわめき立つそんな本に出会った。 紙の本に触れながら、文章に触れながら何となく読み進めているときに、突然 心臓が飛び出るかと思うほどドキッとしたり、思わず息を止めてしまうくらいハッとするようなひとつの文章に出会うことがある。 「赤い実はじけた」を思い出した。 特に理由は必要ない。 赤い実がはじけた。 はじき飛ばされた先にある場所に飛び込む。 ただそれだけ。 春は別れと出会い、終わりと始まりの季節。 自分のなかの何かが終わり、新たな芽吹きへと形を変えるのかも
"とにかく、疑って、楽しんで、身体の不思議さをたくさん経験していってください。" 急に思い立ち、ある稽古に参加することにした。 返信メールのなかに心の底から嬉しくなる言葉があった。
小学6年生の息子がいるため今卒業アルバム委員をやっている。 小規模校なため一番下の子のときにアルバム委員をやるのが通例となっている。 夏休み前までに1年生から5年生までの写真選びを終わらす必要があるとのこと。 作業量が多いため大変そうなイメージがあったし、アルバム委員で意思疎通がとれるか心配もあったけれど、蓋を開けてみたらただのおもしろい思い出になりそうな出来事だった。 そんな1回目の集まりは駄菓子屋さんで行われて、駄菓子をたべながらワイワイと写真を選んだ。 多いもので
拍子抜け 知ったときに拍子抜けしてしまうことがある。 えぇ〜?! 今まで一生懸命やっていたのはなんだったのか。 なぜ一度も疑問に思わずそう思い込んでやってきたのか。 信じきっていたことがなんだか滑稽に思えて、あとからじわじわ笑いが込み上げてくる。 ふくらはぎがつると足の指を手で押さえて脚をぐーんとのばすのが当たり前のなおしかただった。 子どものときに知ったそのなおしかたは大人になってもずっと自分の当たり前だった。 それがあるとき、「足がつってもそのまま待っていれば
3月から5月のいろいろ。 雑記。 しなびたピーマンを半分に切ってみたら中はみずみずしくておどろいた。 うちに植えてからヨボヨボし始めた三つ葉。 以前の場所の方が過ごしやすかったもよう。 ネコの掘り返しで、小ネギと里芋は散らされてダメになったっぽい。 それでもじゃがいもはたくましい。 にゃんたちに掘られたくないところには極力草をそのままにしておいたほうが良さそう。
一度すっかり忘れるための記録。 そして連なり。 108さんと他の人たちのやりとりがおもしろい。 ついメソッドを重視してしまうのって武道の技に固執してしまうのと同じだなと思った。 本質はそこではなくて、自分で複雑にしてしまっているだけで実はシンプルで、それが故にむずかしい…みたいな感覚。 1、2年前にある本を読んでノートにまとめたことを思い出した。 双子座のわたしが感動する景色は、その瞬間に自分が見た美しい景色。 獅子座の夫の感動する景色は、昔の懐かしい記憶(人との思い出
自分や他者 いくつもの思い込み それらが重なり合う世界に住んでいる。 いつから私は眠るときには枕が必要不可欠だと思うようになったのだろう? あるとき、ある人と枕の話になった。 その人は、「私は枕は使うときもあるし、使わないときもあるよ」とさらっと言った。 私はその言葉にハッとした。 そんな気軽に使ったり使わなかったりしてもいいのだとはじめて知ったから。 不調がでると困る頸椎を守るために枕を使っていた私。 自分に合う枕を探していくつか買い替えたりもした。 防ぐということ
昨日は濃い1日だったので、脳疲れで今朝は頭がぼーっとしている。 春は変則的なことが多く、新しい行動を起こしたり参加する機会がぎゅっとつまってしまう。 とくに身体よりも頭が忙しくなりがちだ。 そんな頭で長男を中学校まで送って行った。 信号待ちをしていると、今は違う中学に通う小学校の同級生が横断歩道を自転車を押して渡っていた。 卒業式では肩を組んでふざけ合っていたふたり。 「◯◯くんおはよー。いってらっしゃい!」 見かけて、「!!」となったわたしは何も考えず車の窓を開け
ウィンターベルという官足法関連のネットショップをのぞいていて目にとまったことの連なり。 新反射区 脳神経反射区図表に載っていない 「脳神経」の新反射区 10「迷走神経」 4「滑車神経」 3「動眼神経」 6「外転神経」 9「舌咽神経」 11副神経 5三叉神経 脳神経の反射的の位置 官足法は必要なことの5分の1 心が顔に出る 病が足に出る 私が考える「神」
気になったことあれこれ。 書きたい欲、書かなければという自分自身への圧もない状態なので、春めいて緩んでいるのかもしれません。 ゆるく過ごすのが気持ちよい季節。 愉しい
どうやらいまは干さずに漬ける梅干しが多いらしい。 知ったときはとても驚いたのだが、それと同時にじぶんで梅干しつくってみようかなと考えるようにもなった。 観察日記と雑記。 白菜R5.01.29 里芋の皮芽が出てくるか観察をはじめました どの部分から出てくるかも不明だったので2パターンで。 側面から? それとも底面から出てくるのか? ヨモギと三つ葉と雑草 三つ葉と白菜三つ葉も試しに白菜の傍に入れていました。 りんごたくさんいただいたリンゴのひとつが傷んでしまったので外
遊びなど何かの「体験」を人と共有するのは楽しいと感じる。その瞬間は違いも思想も薄れてただその場を共有することがすべてになる。 「個」が薄れて「今」という瞬間だけになる。 しかし、「会話」というものはむずかしいと感じる。会話は違いがあらわれやすく思想もにじみでやすい。会話には現在と過去と未来が混ざり合う。 会話をしていると自分のエゴも騒ぎだし饒舌になる。 エゴは火のような熱気を含むエネルギーを生み出すが、そのとき直感的な判断は影を潜めてしまうように感じる。 自分の内側が騒
長年お世話になってきた思考と距離をとる練習をしています。 それは事実を脚色せずに受けとる練習でもあります。 目にとまった箇所の連なり。 世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え
子どもを見送るために ひとり道を歩く カサカサ、ガサガサと 上着の擦れる音がする。 鳥のさえずりがきこえる あぁ、あっちの方でも鳴いている。 うっすらとはく息がしろい 朝の寒さが空気をピーンとさせている。 歩きながらふと、 「この空間はわたしである」 と思ってみることにした そうしたら腹の方からあたたかい何かが 足の先の方まで広がっていくのを感じた。 もう一度、「この空間はわたしである」 と思ってみた 足の先まで広がっていくのと同時に 今度は上の方まで 腕をとおり手
気になったことあれこれ。 (趣味による収集物なのでものすごく長いです) 宗教と文化 宗教と地理性 スリランカ エゴと精神性と現身 漢字、身体、そして消える黒衣
人の足をもむ再び人の足をもむ機会が訪れた。 その記録。 行きつけの美容室で髪の毛を整えてもらいながら話をしていたら足つぼの話になった。 官足法にハマっていることを話したら興味津々だったので、「カラーリングの染まり待ちの時間によければもみますよ」と提案してみたら、どういうものなのか詳しく知りたかったらしく美容師さんの足をもむことになった。 カラーリング中の客が美容師さんの足をもんでいる。 引いて眺めてみるとおもしろい絵だったが、美容師さんがひとりでやっているお店なので自由度