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染織家、コマと鼻の奥、視覚の奥行き、薔薇と野獣、⁑胸椎⁑(メモ帳)

雑記。






胸椎1番…コマの持ち手の部分のような感覚で

「鼻の奥を閉める」‥… 下に空気が落ちていくように抜けていくのがおもしろかった!

口の形だけでこんなにも勝手に息が抜けていくのか!と驚きだった。

いろんな使い方ができそうだと思った。
腹がたったときにも効果があるのか、自分にその機会がきたときに試してみようと思う。


われわれはいったい、この現実の世に何が「ない」と思っているのか。




テレフォン人生相談を聞いていたらドキリとした。
先生方の注目するポイントや指摘よって、相談者が自分の正しさを証明しようとしていることや、誰か特定の人の気を引こうとしていていることなど、相談内容とは違う形をした目的があるのがあるのがよくわかった。
しかし、きっと自分も気づいていないだけで同じなのだ。
自分のことに集中しなくてはと改めて気を引き締めるきっかけとなった。

暇だと人のことあれやこれやと気になってしまうものだし、寂しさに囚われてしまったりするものだから、人のことがやたら気になってしまうときは、自分のことが疎かになっているサインでもあるなと思った。

調子が出てくるまで淡々と目の前のことをやっていくこと、生活を雑に扱わず丁寧な所作で行うこと、そうすることでリズムが生まれてくる気がした。

悩みが人と繋がるきっかけであったり、人の気を引くための方法であったりするし、悩みを解決しないのは解決しては目的が達成されなくなってしまうからだったりもする。

この春は、まるで子どもかのような大人たちをよく見かけた。
「自分を見て!!」と叫んでいるような行動。
いい反応を受けると本人もとても満足そう。

一芸をもっていたりどちらかに振り切れていれば反応もしやすいが、目立ちたいのに引っ込み思案といったように見切り発射し後始末を人に投げるような人もいて、そういう人をみると小さな子どものように見えたりもした。
"お母さん"を求めているのかなぁと頭に浮かび、その場にいた友人と共有したりした。

自分も含めてそれぞれ多様な難ありな部分を隠しながら、でも実は観察している人にはバレバレで、それでも日々過ごしているのかと思うとちょっとおもしろくなってしまった。


実際自分も妹の難ありな部分にクローズアップすることで、敵に仕立てることで自分の立場を優位にし、親からの信頼を集めるといったようなことをしていたのだなと、正義という名の悪意を使っていたのだとテレフォン人生相談を聴きながら自分のずる賢さを知ることができた。






人がいない広い場所で試してみよっと。

首が座って腰が座る

これからが楽しみ♪


自分で考えてもけっきょくなんだか分からなくなるだけだし、人を見て我が振りを整えたり、自分の身体を知ることで自分の内面を知って行く方法が自分には合っているなと感じる。

(上記の文のあとに私は無意識に理由付けした文を書いていた。他のことに対しても理由付けという名の言い訳をしていることが多いことに気がついた。言い訳することで何から逃れようといているのか。正しさの証明、見放されの恐怖、現実の自分を隠すため?書いていたら「めんどくさ!どうせバレるんだし隠す必要なんかなくね??」っとヤンキーな自分が出てきた 笑)


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