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アラン 幸福論

2023年12月 三省堂書店神保町本店にて 村井章子さん訳の幸福論に出会った。



幸福論 アラン 著 村井章子 訳


訳者あとがき

 『幸福論』の著者アラン(Alain)は1968年に生まれ、1951年に83歳で亡くなりました。アランは筆名で、本名はエミール=オーギュスト・シャルチエ(Emile-Auguste Chartier)といいます。アランについてはあちこちで取りあげられ、翻訳も多数出ていることですから、ここでは『幸福論』を読むうえで大切だと思われる四つの点を挙げておくことにします。
 まず一点目は、アランが激動の時代を行きたこと、とりわけ二つの対戦を生きたことです。1914年46歳のときに第一次世界大戦が始まり、1939年の71歳のときに第二次世界大戦が勃発しました。
 二点目は、そのうちの大戦ーーー第一次大戦にアラン自身が従軍したことです。このときアランは46歳で兵役義務はなかったにもかかわらず、そして戦争を憎んでいたにもかかわらず、しかもアンリ四世校という名門中の名門の学校で哲学教師の職を得ていたにもかかわらず、志願して従軍しました。それもアランの年齢と地位に配慮して後方任務が用意されたのを断り、重砲兵希望して前線に赴いたのです。そして激戦地に身を置きながら、あるいは負傷して療養休暇中に『非戦闘員のためのプロポ』『マルス 裁かれた戦争』などを次々に書きました。
 そして三点目は、終生リセ(高等中学校)の哲学教師であり続けたことです。各地のリセで教えた後、アンリ四世校の教師に推挙されてからは、65歳で退職するまでそこで教鞭をとりました。大学の教授資格を持ちパリ大学の教授になることも可能だったのに、あえてその道を選ばなかったのは、アラン自身がリセのときに出会った哲学の先生の影響が大きかったようです。アランは大変優秀な教師で、大学の学生が授業を聞きにきたと言われています。教え子にはアンドレ・モーロワ、シモーヌ・ヴェイユなどがいました。
 最後の四点目は、哲学教師を務める傍ら旺盛な執筆活動をしたこと、とりわけ積極的にジャーナリズムに意見を発表したことです。これは哲学者としては珍しいことではないでしょうか。アランか世に知られるきっかけとなったのも、ドレフュス事件(1894年)の際に、スパイ疑惑をかけられたドレフュス大尉を擁護し軍部を攻撃する論陣を張ったことでした。その後もたびたび政治や社会に関する寄稿を行っています。そして1903年からルーアン新聞で始めた連載が、『幸福論』のものになりました。アランは行動する哲学者だったと言えるでしょう。(以下省略


77 友情

(1907.12.27)

 友情の中にはすばらしい喜びがある。喜びが伝染するのを見れば、このことは苦もなく理解できるだろう。友にとって私の存在がほんのすこしでも本物の喜びになるのなら、その喜びを見て今度は私が喜びを感じる。こうして、お互いが与え合った喜びが自分に返ってくる。喜びの宝石箱が開かれ、二人は同時に気づくーーー幸福は自分の中にあったのに放っておいたのだ、と。
 喜びのみなもとは自分の中にある、それはまちがいない。だから、自分にも何事にも不満な人を見ることほど、目障りなことはない。この連中は、お互いを気分良くさせようと、口当たりのいいことばかり言い合っている。
 とはいえ、満足している人も、たった一人でいたら、じきにその満足を忘れてしまうことに注意しなければならない。この人の喜びは、いつの間にかどんよりと鈍ってしまう。こうしてある種の麻痺のような無感覚に陥る。内なる感情は、外からの働きかけを必要とするのである。もし暴君が私を投獄して権力の崇拝を教え込もうとしたら、私は毎日一人で笑うという健康法を実践するだろう。運動で足腰を鍛えるように、喜びも鍛えてやらなければいけない。
 ここに一束の乾いた枝があるとしよう。もはや生気は失われ、土塊のように見える。放っておいたらきっと土へ帰ることだろう。だがこの枝は、太陽が吸収した活力を内に秘めている。ほんの小さな炎を近づけてやるだけで、たちまちぱちぱちと勢いよく燃えだすだろう。必要なのは、扉を揺すぶり、囚われ人を目覚めさせてやることだ。
 このように、喜びを目覚めさせるには何かしらきっかけを必要とする。赤ん坊が初めて笑うとき、その笑いには何かを表現しているわけではない。幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ。赤ちゃんは笑うことを楽しむ。食べることを楽しむように。もちろん赤ちゃんはまず、食べなければいけない。
 きっかけということは、笑いにだけ当てはまるものでない。自分の考えを知るには、言葉が必要である。たった一人でいたら、自分にはなれない。おろかなモラリストたちは、愛することは自分を無にすることだと言うが、これはあまりに単純な考えだ。人は自分から離れようとするほど自分になり、自分が生きていることを強く感じるものである。君の薪を物置の中で朽ちさせてはいけない。

P483


86 健康を保つ技術

(1921.9.28)

 心が平静だとしてもふつうは一文にもならないが、健康によいことだけはまちがいない。幸福な人は、世間から忘れられても平気である。死んでから40年もすれば、名誉の方から探しにくるだろう。だが、病気は名誉欲よりも内に秘めているだけに厄介である。病気に最もよく効くのは、幸福である。こう言うと、幸福は結果であって原因ではないと憂鬱な人は言い張るが、それは単純に過ぎる。力があるから運動が好きになる一方で、好きで運動するから力がつくではないか。思うに内臓には二種類の働きがあり、一方の働きは闘争や排泄を促し、もう一方の働きは喉を詰まらせたり食中毒にさせたりする。指を拡げるような具合に内臓を伸ばしたり縮めたりはできないにしても、気分がいいのは内臓がうまく働いているしるしだから、上機嫌につながる考えはすべて健康によいと言ってまちがいあるまい。
 では、病気のときも上機嫌でなければならないのだろうか。そんなことはばかげているし、できっこない、とあなたは言うだろう。だが、ちょっと待ってほしい。弾に当たることを別にすれば、軍隊系活は健康によいと昔から言われている。そして自分の軍隊経験から、私自身もこの言い伝えに納得している。なにしろ朝霧の中を3回偵察に出れば、ほんのすこしの物音にもぎょっとして自分の穴に逃げ帰る、そんな野うさぎのような生活を3年も送ったのだ。その三年間というもの、疲れと眠気以外は何も感じなかった。当時の私の胃はしごく現代風で、二十歳の頃から、行動せずに考えてばかりいる人間特有の持病を抱えていた。体の調子がよくなったとき、それは田舎の空気や活動的な生活がよかったのだと言われたが、私には、原因が別のところにあることがわかっている。
 それは、こうだ。ある日、歩兵隊の伍長がひどくうれしそうな顔をして私の塹壕にやって来た。この伍長は「もう何も怖くないさ。だってこの先は危険しかないのだから」と言ってのけた人物だが、その彼がこう言った。「今度ばかりは本物の病気だぞ。熱があるんだ。軍医もそう言った。明日また診察してもらうが、たぶんチフスだろう。もう立っていられない、目が回る。とうとう病院行きだ。2年半も泥まみれになってきたんだから、このぐらいの幸運にありつくのは当然さ」
 だが私には、この有頂天のせいで病気が早くも治りはじめていることがわかった。翌日には熱はすっかり下がり、伍長はフラレー(第一次世界大戦の戦場になったドイツ国境近くの村)の廃墟に落ち着く代わりに、もっとひどい戦線に送られることになってしまった。
 病気にかかるのは過失ではない。病気にかかったからといって、規則違反だとか不名誉だとか言われる筋合いはないのである。およそ兵士であれば、たとえ病死であってもいい、何か病気の兆候はないかと、期待に胸を高鳴らせながら体中探しまわったことのないものはいないだろう。あれほど耐え難い日々を送っていると、しまいには病気で死ぬのが喜ばしく思われてくる。だがこうした考え自体が病気に対する防波堤になる。喜びは、どんな名医にもまさる効果を体内で発揮するのである。病気になるのではないかという恐れはすべてを悪い方へと押し流すが、病気になりたがっている人にそんな恐れはあるはずもない。
 死を神の恩寵として待ち受けていた隠者たちは百歳まで生きたと聞くが、それも驚くには当たらない。年老いた人たちが、何事にも興味を抱かなくなってからも長々と生き続けることに、私たちは呆れる。あれはおそらく、死の恐怖をもはや感じないからだろう。この知識は、恐怖を感じて体がこわばると落馬するという知識と同じくらい知っておくと役に立つ。つまりある種の無頓着はじつに効果的な方略になる、ということである。

P543


アラン 幸福論  神谷幹夫 訳

30 絶望しないこと

 誓約によって酔っぱらい癖をなおそうとするあの警察のやり方は、行動を重んずるしるしである。学者ぶった人ならば、それを信用しないだろう。なぜなら、彼の目からみれば、習慣や悪徳はたいへん明確なもので、その根は深いから。事物に関する知識によって推論するので、彼が言わんとするのは、鉄や硫黄が固有の性質をもっているように、すべての人間は自己のうちにその固有の行動様式をもっているということだ。しかし、ぼくの思うにはむしろ、美徳や悪徳はほとんど、われわれの本性に根ざしたものではない。それは鍛造されたり圧延されたれするのが鉄の性質から出たものではなく、また火薬や棒状硫黄にされるのが硫黄の性質から出たものでないのと同様なのだ。
 酔っぱらいの場合には、なぜ酔っぱらうのかぼくにはよくわかる。そこでは飲みたい欲を作りだすのは習慣である。なぜなら、飲みつけているものを飲むことによってのどが渇き、理性を失ってしまうから。しかし、飲むようになる最初の原因はとるに足らないものだ。飲むまいと誓っていれば、それは消えてしまうだろう。この小さな心の努力をすれば、この男はまるで二十年来水しか飲まなかったように、酒をつつしむようになる。反対のこともまた起こる。ぼくは酒を飲まないでいる。でも、何の苦もなくたちまち酔っぱらいになるかもしれない。ぼくは賭け事好きだった。周囲の事情が変わったので、もう賭け事をやりたいとは思わなくなった。もしそれに手を出したら、また好きになるであろう。情念のなかには頑固なものがある。とりわけ、とほうもない謝りがあるようだ。われわれは情念にとらわれていると思い込んでいるのだ。チーズ嫌いな人たちは、チーズを味わってみようともしない。チーズは嫌いだと頭から思い込んでいるからだ。独身者は、結婚は我慢のならないものだと思い込んでいることがよくある。不幸なことに、絶望には確信がつきまとう。この幻想イリュージョンはーーーなぜなら、これこそ一つのイリュージョンだと思うからーーーごく自然なものである。人は自分のもっていないものについては判断を誤るのだ。ぼくが酒を飲んでいるかぎり、禁酒のイデーをもつことができない。ぼくが現に飲んでいるという行為が、しらふのぼくを考えることはできない。禁酒するが早いか、今度はその行為だけで飲酒癖をしりぞける。憂鬱な気分についても、賭け事についても、あらゆることについて、同じことがいえるのだ。
 引越しが近づくと、やがて別れるこの壁にさよならを告げる。家具はまだ運び出されていないのに、もう新住居が好ましく思われる。古い住居は忘れられてしまう。すべてのことが、やがて忘れられてしまう。現在には力と若さがある、どんな時も。だから人は、たしかな足どりで現在と順応して行く。だれでも経験していることだが、だれ一人それを信じていない。習慣は偶像イドラのようなもので、イドラが力をもつのは、われわれがそれに服従しているからだ。ここではわれわれを欺いているのは思考の方だ。なぜなら、考えることのできないことは、また行うこともできないように見えるから。人間の世界が想像力によって牛耳られているのは、想像力はわれわれの習慣から自由になれないからだ。だから、想像力ら創り出すものでらないと言わねばならない。創り出すのは行動である。
 ぼくの祖父は七十歳の頃、固形の食物が嫌いになって、少なくとも五年間牛乳で生きていた。人はこれを異常な習慣マニアだと言った。その通りだった。ある日、家族そろっての昼食で、祖父が突然鶏のモモ肉を食べ始めるのを見た。そして祖父は、われわれと同じ食事で、あと六、七年生きながらえた。勇気のある行為だった、たしかに。しかし、何に対して彼は挑んだのか。臆見に、否むしろ、自分がもっていた臆見の臆見に。また自分のもっていた自己についての臆見に。何としあわせな性質というかもしれない。とんでもない。だれもみんな、そうなのだ。ただ、それを知らない。そして銘々、人は自分の人柄にしたがっているのである。

1912年8月24日

P106


63 雨の中で

 しかしながら、正真正銘の不幸もかなりある。だが、想像力につい引きずられて不幸を人々がつけ加えるということもほんとだ。君は毎日少なくとも一人は、自分のやっている仕事に不満を言う人に出会うだろう。彼の言い分にはかなりの説得力があるようにいつも見える。なぜなら、どんなことでも文句を言うことができるし、完全なものなど何ひとつ存在しないから。
 先生である兄貴は、何ひとつ知らぬ、何ひとつ興味をもたないがさつな若者に教え込まねばならない、と言うであろう。エンジニアである兄貴は、無用の書類の海の中につかっている、と言うであろう。弁護士である兄貴は、あなたに耳を傾ける代わりに居眠りしながら食べたものを消化している裁判官の前で弁護している、と言うであろう。君の言ってあることはおそらく正しい。ぼくはそのままに受け取る。この類のことはうそではないからこそ、それをいろいろ言いたくなるのだ。それとともに、君の胃の具合が悪かったり、靴の中に水がしみ込んでいたりするのであれば、君の言うことは非常によくわかる。それこそまさに、人生や人間を、否、もし神の存在を信じているならば、神さえも呪うに十分な理由である。
 しかしながら、次のことはよく知って欲しい。そういう言い分には際限きりがないこと、そして悲しみはさらに悲しみを生み出すこと。なぜなら、そうやって運命を嘆くことによって、君は自分の不幸を大きくして、一切笑う望みを、あらかじめ自分から奪い去って、そのため自分自身の胃もさらにいっそう悪くなるだろうから。もし君に友人がいたら、そして友人が、何事にもつけてつらそうに不満を言っていたら、君はおそらく、彼をなだめようとし、世界をもう一つの見方でとらえる方法を教えようとするだろう。では、どうして君は、自分自身に対してもかけがえのない友となってやらないのか。もちろん、ぼくは真面目に言っている。もう少し自分を好きになってやったら、自分と仲よくやったらどうか、と。なぜなら、ものごとは何でも、始めにどんな態度を取るかによって決まってしまうことが多いからだ。ある古人がこう書いている。どんな出来事にも二つの把手とってがあって、さわると手が傷つくような把手を選ぶのは賢明な選択ではない、と。世話せわにもよく言われている通り、哲学者とは、どんなことがらにおいても、いちばんぴったりして最も人を元気づける言葉を選ぶこと、すなわち、真理のまとを射抜て、自分をなじることではない。われわれはみんな、立派な弁護人であり、ゆたかな説得力をもっているのだから、この道を選ぶならば、満足する理由をきっと見出すであろう。ぼくはしばしば見てきたが、人が自分の仕事にすぐ不満を言うのは不注意からであり、またちょっと儀礼的な意味からである。もし人が、他から決められていることではなく、自分から好んでやっていることや自分でつくり工夫していることを語るように仕向けるならば、彼らはたちまち詩人となる。しかも楽しく歌う詩人となるのである。
 ほら、雨がちょっとふってきた。君はまだ通りにいるので、傘を広げる。それでいい、それだけのことなのだ。「また雨か、なんということだ、ちくしょう!」と言ったところで何の役にも立つまい。そう言ったところで、雨のしずくや、雲や、風が変わることはまったくないのだ。どうせ言うのなら、「ああ!結構なおしめりだ!」と、なぜ言わないのか。君の気持ちはよくわかる。そう言ったところで、雨のしずくはまったく変わらないだろうから。その通りだ。でも、そう言うことで君にはいいことなのだ。からだ中に張りが出てきて、ほんとうに温まってくる。なぜなら、それこそが、どんなに小さなよろこびでも、よろこびの動作のもつ効き目なのだから。君がこうしていさえすれば、それが雨にあたっても風邪を引かない秘訣である。
 だから、人間もまた雨と同じように考えるがいい。そんなことが容易でない、と君は言う。やさしいことだ。雨よりもずっとやさしい。なぜなら、君がほほ笑んだところで、雨には何のはたらきもないが、人間には大いに力があるから。ただほほ笑むまねをしただけでも、すでに人間の悲しみや退屈さはやわらいでいるのだ。もし自分自身の中を見つめれば、彼らを許してやるたねがたやすく見つけられるだろうということを言わぬとしてもである。マルクス・アウレリウスは、毎日こう言っていた。「きょうも、見栄っぱりや、嘘つきや、不正のやからや、うるさいおしゃべりに会うだろうな。彼がそんな風なのも無智のせいだ」と。

1907年11月4日

P210






67    汝 自 ら を 知 れ

 昨日こんな広告を目にした。「人生で成功し、人心をつかんで賢く誘導する絶対確実な方法をお教えします。すべての人の体内にある生命流体に働きかけるのです。ただし、そのやり方を知っているのはあの有名なX博士だけ。博士がこの秘訣をたった10フランで伝受します。もうこの先は、事業に失敗したら、10フランを惜しんだの言われるようになるでしょう、云々」という、よくある類のものだ。この数行の広告を引き受けた新聞は、ただで載せるはずはないから、成功術の教授にして磁気流体の商売人たるX博士は、それなりに繁盛していると見える。
 この広告のことを考えているうちに、この先生は本人が考える以上にうまくやっているのではないか、という気がしてきた。流体云々はさておき、X博士が実際に何をしているかを考えてみたい。この先生がお客に多少なりとも自信をつけてやれるとしたら、それだけでもたいしたことである。お客が途方もない困難と感じていた小さな問題を乗り越えるには、自信さえあればそれで十分なのだから。臆病は重大な障害物であり、多くの場合に唯一の障害物と言ってよい。
 だが、それだけではあるまい。思うに大先生は、自分でも意識しないままに、注意、熟考、秩序、方法といったものをお客に植えつけているのだろう。例の生命流体に働きかける手順では、その相手や物など、何か具体的なことを強く念じなければいけないはずだ。そこで大博士はお客を徐々に訓練して、注意力を集中することを教えるのだと思う。これだけのことで大金を稼いでのけたのにはちゃんと理由がある。
 第一に、お客は考え事から気を逸らすことができる。自分自身のこと、過去のこと、失敗のこと、弱点のこと、胃痛のことなど一切考えずに済む。つまり、刻々と膨れ上がる重荷から解放される。まったくのところ、くよくよ思い悩んで人生を空費する人がどれほど多いことか。
 第二に、お客は自分が何をしたいのかを真剣に考えるようになる。周囲の状況や他人のこともはっきり認識するようになり、夢の中でやるようなとりとめのない混乱した物思いから脱する。こうなったら、人生で成功するようになるのも驚くには当たらない。大先生には偶然も味方にしているかもしれないが、それについてはここで言うまい。不運な偶然だってあり得たのだから。
 たいていの人は自分には敵がいると考えているが、これはそう思い込んでいるだけである。敵が出現するほど首尾一貫した言動をとっている人は、めったにいない。じっさいには、友をつくる以上に熱心に敵をつくっているのである。この男はこちらに悪意を持っている、などとあなたは考える。そんなことがあったとしても、相手はとうに忘れているのに、あなたは忘れない。それが顔に出るものだから、相手も敵意を持たねばと思ってしまう。そもそも人間には、自分自身以外の敵はほとんどいない。憶断や悲観や絶望によって、また自信を失われるような言葉を自分に投げかけることによって、人は自分の敵になる。だから、「あなたの運命を決めるのはあなただ」と言ってあげるだけでも、10フランの価値はある。そのうえ、生命流体までおまけに付いてくるのだ。
 ご存知のとおり、ソクラテスの時代にはデルフォイにアポロンを祀る神殿があり、神意を告げる巫女がいて、あらゆることをについて神託を売っていた。ただし神様は流体先生より良心的なので、人生の秘訣を神殿よ正面に書き出してくれた。そこで、吉か凶かおうかがいを立てにきた人は、神殿に入る前にそれを読む。万人に霊験あらたかな深遠な神託であるーーー汝、自らを知れ。

P424




受け取り手が祈りとして受け取るのか、呪いとして受け取るのか、それとも流れ去るのか、それはわたしにはわからない。
自分の言葉でない自分のもとをはなれたことば。
相手に委ねられた言葉。
その人にとって何かプラスになるといいな。



神保町居心地がよかった




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