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個人的な収納箱

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忘れっぽい自分用の収納箱として
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記事一覧

武田双雲さんからの松浦航大さんからの成田悠輔さん

武田双雲さんからの松浦航大さんからの成田悠輔さん

好奇心の芋掘りをしました。

おもしろかった!!

右側の方は最初表情がかたく、緊張感が伝わってくるほどだったけれど、だんだんとほころんできて表情が生き生きしていく様もおもしろかった。
右の方はゆるみはじめたら最後までゆるみが持続しているけれど、一見気さくそうな左の方は一瞬その瞬間はゆるむけれど、またもとに戻りゆるみきれない感じがした。
でも後編の最後は自然体のめちゃくちゃいい笑顔が出てました♪

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本と感情と体と

本と感情と体と



土木のおっちゃん

タバコが吸える昔ながらのガソリンスタンドの待合室で居合わせたおっちゃんと世間話をしていた。

電子タバコを吸っていたそのおっちゃんは配慮のためか、私がタバコを吸うか嫌ではないか、と尋ねた。

家族に電子タバコを吸う者も昔ながらのタバコを吸う者もいるので大丈夫ですよ、と私はこたえた。

土木の仕事をしているそのおっちゃんは、昔ながらのタバコのにおいが嫌でたまらないという。

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煌めき

煌めき

とある日の記憶。

数ヶ月ぶりに訪れた美容室で、ある本のタイトルと佇まいが気になった。

入り口すぐそばの窓に立てかけてあって、日に焼けてくすんだ表紙のその本は、煌びやかな側面を持ち合わせていた。

本の内容がおもしろくて自分でも購入した。
私の持っているこの本は、あの佇まいは持ち合わせてはいない。
真新しくてまだ初々しさが放たれている。

美容師さんは町の小さな本屋さんで見つけたらしい。

待ち

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手 〜触れる*委ねる〜

手 〜触れる*委ねる〜



手について

この絵の手を見て、優しい手とは「何かを動かそうと手」ではなくて、「そっと添えるような、ふわっと沿うような手」なんだなと思った。

優しさとは体温が伝わること

すぐそばに居る
包まれている(包まれていた)
と実感できること

なのかもしれない。

手にまつわる雑記

子どもが冬休みの宿題で余らせた半紙をラッピング用紙の代わりに使ってみた。
任期2年の役がもうすぐ終わるので一緒に役

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効果的でおもしろかったこと

効果的でおもしろかったこと

一度忘れ去るための備忘録。

◾️胸元にはぴょん吉を

胸郭のストレッチをするよりも、「ぴょん吉が居る」と思って過ごした方が何千倍も効果があっておもしろかった。
猫背気味になっているときに「胸元にはぴょん吉がいる」と思い出すだけで、胸郭が広がり、肩甲骨が後退して肩が下がりゆったりとした体勢になる。
最近、力仕事が多いのでそのときにも「ぴょん吉と居る」ようにしている。
10リットル強のバケツをそれぞ

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畢竟 〜とある関係のある言葉〜

畢竟 〜とある関係のある言葉〜

繋がりと連なり。

《個人的なメモ》

畢竟おもしろかった!!!

これからが楽しみになる言葉も見つかった。

上記のnoteを読んでいてはじめて目にする言葉があった。
妙に気になったので探してみることにした。

畢竟依

親鸞とつながって、なんとも言えない記憶に残る文章に出会った。

天文図館https://tenmonzukan.com/mind

メイドインアビス

精神と自然I  イントロ

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新年

新年

今年もさまざまなことがあると思いますが、目の前のことに集中し、淡々と、どんな状況であろうと「やることはやった!もう悔いなし!」と思えるように日々を過ごしていきたいと思います。

身内に悲しみごとがあったとき、義父が無邪気な孫たちの姿を見て、その子らの存在を救いだと言っていたことを思い出します。

社会の雰囲気にのみこまれずに、目の前のこと、その瞬間を味わっていれば、一時は滞ることがあったとしても、

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アラン 幸福論

アラン 幸福論

2023年12月 三省堂書店神保町本店にて 村井章子さん訳の幸福論に出会った。

幸福論 アラン 著 村井章子 訳

訳者あとがき

77 友情

(1907.12.27)

86 健康を保つ技術

(1921.9.28)

アラン 幸福論  神谷幹夫 訳
30 絶望しないこと

63 雨の中で

67    汝 自 ら を 知 れ

受け取り手が祈りとして受け取るのか、呪いとして受け取るのか、そ

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「踏み込む」と「立つ」

「踏み込む」と「立つ」

日常的に車を運転するのだけれど、あるときアクセルを踏み込んだときの自分の身体の状態に、ふと「なぜだろう?」と思った。

アクセルを「踏む」
アクセルを「踏み込む」

どちらの表現も使われていると思うが、私は後者。「踏み込んで」いる。

合気道でいえば技をかけるのではなく、正しい身体の動きの結果が技がかかるという状態であるということを考えると、足だけで踏み込んでいるのは違うのだろう。

実際踏み込ん

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あちらこちらにせんせいが

あちらこちらにせんせいが

先日、夫から注意を受けたこと。

(※仕事内容にふれるのであえて抽象的に書いています)

「注意の向け方、気にする部分がおかしい」と指摘を受けた。
理解ができなったので説明を求めたら、すぐに変化してしまう部分を目印にしていることがおかしいとのことだった。
探したいときにはすぐには変わらないものを目印とすることや、そもそもまずは小さな部分に囚われず全体を捉えるようにと言われた。
そこで、いつもと違う

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占星学 ②

占星学 ②

8月に書いてそのままになっていたもの。
まだ途中であるし、今は気持ちがちがうところに行ってしまっているので整った形にできそうにないけれど、今年のうにち投稿しときたい内容だな…と思ったので不完全なまま投稿します。

この本を読んでいると、「人と共に居たいなら、普段から見て見ぬふりをしている自分の暗い部分から目をそらすのをやめて見つめなさい」「日常的に他者に投影しているということを知りなさい」そんなメ

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動かすのをやめた「モノ」を動かすって大変だ

動かすのをやめた「モノ」を動かすって大変だ

いろんな意味でそうだよなぁ、と最近よく思う。

小さな子は身体も思考も柔軟で、柔軟すぎるがゆえに危うさもあるのだけれど、大人になり、自身が老いていく道の上を歩いていてと思うのは、動かさない部分が増えていくなぁってこと。

身体でいえば気づかないうちに固めて使うようになっている。
考え方も慣れたものばかり使い固定化してしまう。

知らず知らずのうちに使いやすい部分ばかり使うようになって、使わない部分

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刮痧

刮痧

刮痧の施術を受けたのでその記録。

5年以上ぶりに手帳を買ったので、ここに記録することにした。
来年を今からスタートさせるみたいでおもしろい。

比較的痛みには強い方だし、官足法で痛さにも慣れているのだけれど、刮痧の痛みは別の種類の痛さだった。

頂上の見えない山登りも、終わりの見えない痛みも同じだなと思った。
気持ちが折れそうになる。

施術を受けた日はその部分が腫れていて触れるのも寝るのにも痛

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