さくら色
嵐のような天気の翌日、快晴ではあるけれど少しひんやりとした空気をまとっている日。
犬の散歩をしていると桜の木が薄ピンク色の花に彩られていた。
彩られているというより"包まれていた"に近いかもしれない。
桜の花びらってなぜか気持ちが和らぐ。
その感覚が他の花と違うものだったので、なんでだろうなぁと不思議に感じていた。
ふと、あることを思い出した。
シュタイナー系の幼稚園では先生のエプロンや窓をおおっている布も淡いピンク色、さくら色だったなぁと。
母(生み出すもの)という存在?包まれる色。
色って不思議で自分でも気付かないうちに影響を受けている。
なんとなく気持ちが塞ぎ気味の日は淡いピンクの布に絡まれて過ごすと良さそうだなと思った。
反対に気が立ってしまう日や気がせわしなく動く日は、深い青色の布に包まれて過ごすと落ち着いてきそう。
気になってシュタイナーと色彩について少し調べてみることにした。
(シュタイナー関連は読んでいて引っかかりを感じやすいワードが散りばめてありますが、今の私たちのいだくイメージとは距離があるのだと思いますし、もしざわっとする言葉が出てきたときには唇からフッと小さく息をはいて吹き飛ばしたり、目線を一瞬横へ外したりして、わからないことをわからないまま読み進めるとおもしろさが出てくるかもしれません。)
シュタイナーの色彩論(2)
悪の根源(1) 破壊のかまど
"破壊のかまど" おもしろい ♪
ももいろぞうさん
貨幣経済
"大予言"ということば自体がおもしろいなと思った。
預言ではなく予言。
誰かに預けたことばが一人歩きしていく。
授かったことば
授かった子
授かった命
預かり授かったものが歩き出し変化していく。
成長って自ら壊しながら進むことなのかもしれないな。
衰退とはくずれゆく様を愛おしみながら見守ること。
一年に一度くらいの頻度で“死"が自分のすぐそばに感じるときがある。
そういうときは寒くは感じないが、内側の核を中心に冷えている感じがする。
冷たく、息をひそめるような静けさが内にある。
これは感情の動きとは一致していなくて、身体が感じている状態であって、死にたいや死にそうでもなく死がすぐそばに居るなぁといった感じ。
まわりの人間や動物などの生き物を見ていても、新月は死というものが普段よりも近くなるときなのかもしれないなと思った。
休息をとり、ひっそりと過ごすのにいい日なのかもしれない。
普段、生き物の誕生と終わりを目にする機会が多いのだが、死は冷たさと縁があり、生は温かさと縁がある。
死は内なる暴力性が陰をひそめ静寂とつながり
生は躍動、暴力性を宿した日でもある
触れたときの体温の低さ、吐く息の冷たさ、うめき声
触れたときの熱気ある体温、はずむような吐く息、泣き声
そして食欲、食べたいという気持ちの強さが生命力なんだなぁと見ていて思う。
しかし、振り切ってしまうと反対に作用し生命力が失われて行く。
バランスをとることのむずかしさ。
成長を支える教室
気になる本