連載小説 【 THE・新聞配達員 】 その58
58. ピアノ発表会
どんな服装で行くべきなのか考えていた。
きっと佐久間さんはスーツで行くだろう。
なんせ演奏者だ。
お孫さんもタキシードのような衣装に蝶ネクタイをして行くことだろう。
もちろんズボンは半ズボンだろう。
私が小学校1年生の時はそうだったように。
私は?
私はスーツを持っていない。
人生で一度だけ成人式で着たスーツは大阪の実家にある。
東京まで持って来ていない。
まさか着る機会が訪れるなんて思ってもみなかった。
そうだ!
ここはミュージシャンらしい格好をしよう!
いつも冴えない風貌の私。
大きなギターを持っていても
ミュージシャンには見られたことのない地味な男。
きっと会場を作るスタッフとか荷物持ちとかにしか見えないのだな。
たまたま誰かのギターを手にしている裏方さんにしか見えないのだな。
あとは良くて楽器屋さんには見えるかな。
悲しくなってきた。
今まで一度も「君はもしかしてミュージシャン?」なんて
言われたことはない。
ギターを抱えて歌っていても。
どうすればミュージシャンに見られるのだろうか。
一度くらいは言われたいものだ。
でも服を新調することは出来ない。
お金を貯めなければいけないからだ。
カナダに行くために。
私はもう何年も着ている袖に少しヒビの入ってきた革ジャンと、
そろそろ小指の先くらいなら通りそうな穴をあつらえたジーパンで
会場に向かった。
神楽坂に来た。
緊張する。
ちゃんとした建物が並んでいる。
建物の中はまるで結婚式の会場のようだ。
きちんとした身なりの人しか居ない。
小さい女の子たちは綺麗なドレスを纏い、
髪を上に上げて華やかに自分を飾っている。
小さい男の子たちもスーツ姿に白い靴下だった。
もちろん長ズボンで。
私は?
ジャンル違いもいいところだった。
クラシックの世界に黒くてボロの革ジャンは
教会に袈裟を着てきたようなものだ。
まあ、どちらも同じ音楽ではないか。
気にすることはない。
私は家で一杯飲んでから来たので少し強気だった。
でも私は会場に着いたがどうしていいかわからずに居た。
誰かに声を掛けて聞く勇気までは出てこない。
メインホールの中には入らずに、
まわりの廊下でうろうろとしていた。
しっかり飲んできたおかげでトイレが近かった。
廊下をうろうろしてはトイレに行き、
小便をしては鏡で髪を直して、また廊下を歩いた。
喉が渇いたので廊下の突き当たりにあった自動販売機で
お茶を買って飲んだ。ビールが売ってないのが残念だ。
体の向きを変えると、『Staff Only』と書いた扉があった。
あの扉の中に楽屋があるのかな。
そう思っていたら、
その扉が開いて、中から女性が背中から出て来た。
その女性と話をしながら歩いてくるのは佐久間さんだった。
やっと知った顔を見つけた時のなんとも心強いことよ。
私は日常ではない空間からのプレッシャーと
家で飲んできたビールのおかげで朦朧とする意識の中で
佐久間さんに話しかけた。
「さくまさ〜ん・・・」
「ぉぅ、さなだか。よくきてくれたな。もうすぐ始まるぞ。」
とても小さな声!
全然いつもの声ではなかった。
佐久間さんも緊張しているようだ。
なぜ私が緊張しているのか分からなくなってきたぞ!
よく考えたら私は舞台に上がりもしなければ降りもしない。
楽器も持たないし手伝いもしない。
ただ聴きに来ただけだ。
そして誰も私が佐久間さんの知り合いだとは知らない。
この会場で私のことなど誰も見ないというのに!
なんで緊張しているんだ!
アホらしくなってきた。
佐久間さんの横に居た女の人が
私の顔を見てニコッと挨拶してくれた。
「あー、真田くんね。来てくれてありがとう。」
ぬおっ!知り合いか?
「いつもありがとう。父から話を聞いてます。
どこでも好きなところに座ってくださいね。」
どうやら佐久間さんの娘さんのようだ。
そう私に言いながら佐久間さんの背中をさすっていた。
佐久間さんは全然これ以上話す様子もなく娘さんに腕を持ってもらいながら
背中をさすられている。
めちゃくちゃ緊張してるじゃないか!
すると、小さい男の子が走ってこちらに来た。
お孫さんだろう。
娘さんの横にぴったりとくっついた。
緊張している様子は全くなく、笑顔が素敵だった。
これ以上ここに居ても佐久間さんから何か
お言葉をもらうことはなさそうなので私はホールの中を見た。
これで入場の許可が下りたような気がしている眼差しで。
「では失礼します。」
気の利いたことをひとつも言えずに
メインホールの中に入った。
真っ白な壁に白い椅子たち。
私は目が悪いので一番前の席に座った。
小さな子供たちの演奏が始まった。
まだ床に付かない足を置く為の木の台が忙しそうだ。
子供たちの演奏があっという間に終わった。
最後の演奏者は佐久間さんだ。
佐久間さんが一人で舞台袖から現れた!
ピアノに向かって歩く。
腰を曲げておそるおそるゆっくりと
ピアノに向かって歩く。
年相応の老人になりすましている佐久間さん。
老人を演出しているようだ。
佐久間さんは実際に70歳で老人だが、
こんな歩き方も振る舞いもしないことを
私は知っている。
わざとだ。
年相応の老人に見られるようにすることで
この後のピアノの演奏が、きわだって見えるように。
ひとつまみの演出が音の良さを引き立たせる。
なるほど!さすが芸術家だ。策士だ。
佐久間さんの演奏が始まった。がっちがちだった。
まだ年相応のままだ。どこで裏佐久間氏を出すのだろうか。
曲はいつも家で私に弾いて聞かせてくれているものだった。
ショパンの『別れの曲』だ。
私は見るに耐えなくなって来たので目を瞑って聞くことにした。
私の耳には、いつも通りの演奏に聞こえた。
それはつまり家で赤ワインを飲んで弾いてるのと同じということだ。
ところどころ間違えては詰まっても、
気にせずに演奏を続ける佐久間さん。
この日のためにずっと毎日練習してきた佐久間さん。
心を現実に置いてなかったのは、この日の演奏のためだったのだ。
緊張ととまどいの空気が会場中を包んだその時、
誰かの声がした。
「がんばれー!」
子供の声だった。
「もう少し!」「がんばれー!」
子供たちの無邪気で愛のある声援が
空気を変えた。
猫背になっていた佐久間さんが急にあきらめたように、
いや開き直ったように
何かを思い出したかのように背筋をまっすぐに伸ばした。
緊張が剥がれ落ちていく。
老人の皮が捲れ剥がれていく。
音より後から付いて行っていた指が、音と合った。
上半身を波打つようにリズムにのせて動かし始めた。
もう目をすっかり閉じて弾いている。
演奏が終わった。
みんな立ち上がった。拍手喝采だ。
私も拍手しようとして自分の手を見た。
握り締めすぎた手のひらに爪の跡がすごかった。
しかも汗でビッショリと濡れていた。
急いでジーパンで手を拭いてから拍手に参加した。
娘さんがステージの上の佐久間さんのところまでやって来て
佐久間さんの肩に手を置いた。
振り向いて私たち観客を見た佐久間さんは立ち上がって
お辞儀をした。
娘さんもお辞儀をして
拍手喝采の中、ふたりは舞台袖へと消えて行った。
胸が熱くなった。感動してしまった。
私もステージに上がりたい衝動に駆られた。
ステージに上がりたい!
あのみんなより少し上で
みんなに向かって演奏したい。
『茶色の小瓶』を?
いや、ちがう!自分のオリジナル曲をだ!
みんな!
聞いてくれ!
私の心の叫びを!
なんかあったっけ?
私はまだ一曲も自分の作った曲がないことに気が付いた。
断片のかけらばかりで一曲に仕上げったモノは
まだひとつも持っていなかった。
私には私と呼べるものがひとつもなかったのだ。
ステージの上のピアノがこちらを見て言う。
「いいよ私を弾いても・・・おいで!坊や!」
私は舞台に近づいた。
そして舞台の下からピアノを見上げた。
セクシーでツヤツヤのピアノと目が合った。
私は茶色の小瓶しか弾けない。
いや、もう茶色の小瓶ですら上手く弾けないだろう。
今の私には茶色の小瓶の中に入っている
泡立つ液体がお似合いだ。
不釣り合いな恋人に別れを告げて、
メインホールを出た。
佐久間さんに挨拶して帰ろうと思い、
周りを見渡したが居ない。
きっとあの『Staff Only』の扉の中にいるに違いない。
私は堂々と中に入った。
誰かに何か言われても佐久間さんの名を出せば大丈夫だろう。
急に薄暗くなった通路を歩いて明るい方へと歩いた。
奥にある部屋の扉が全開で開いている。
顔だけで中をのぞいた。
大きな鏡の前の椅子に座っている佐久間さんが見えた。
その椅子の後ろに娘さんが立っているのも見える。
誰かと話しているような視線だ。
もっと顔を入れないと誰か分からない。
ぐっと顎を引いて気づかれないように
部屋の中をのぞいた。
おや?
スーツ姿の男性と女性が見えた。
佐久間さんと娘さんと会話している人達だ。
何を話しているのかは聞こえない。
とてもこの状況では話しかけづらい。
あの中に入っていっても、きっと子供扱いされるだろう。
そんな雰囲気が感じ取れる。
大人の、しかも社会性がたっぷりと詰まった空気が漂っている。
負け戦とわかっているのに参加する必要はない。
ここは黙って帰るとしよう。
それにそろそろ茶色の小瓶の中身が切れてきた。
飲み直さなければ。
〜つづく〜
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真田の真田による真田のための直樹。 人生を真剣に生きることが出来ない そんな真田直樹《さなだなおき》の「なにやってんねん!」な物語。
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