「性別とか、どこの学校とか、生徒という立場とか、じゃなくて、私を見てほしい」と、その生徒は言った。 〜SDGs・探究への招待 #062 ~

 今、高校3年生の授業で、マイテーマに基づいてプレゼンをやってもらっています。
 SDGs 17の目標とか全く気にしないでいいから、本音で直接身近に感じていることをテーマにするということと、パワポなどのレジュメを使うことを縛りにしました。
 時間は5分以上で無制限、評価は、プレゼンについては内容と総合の2つの観点、それから今回は質問やアドバイス、感想をどれだけ言えるかの方を評価のメインにしました。

 発信するのはもう十分なれたので、今度はワンステージアップして、いかに質疑をできるようになるかを重視したわけです。結局一度構築した自分の意見を深めるには、他者の質問やアドバイスなしにはなし得ない、というのは、議論というものは、実は発信者の質よりも、受信者の質によって左右されると考えているからです(でも実際にはなかなか質問、感想、アドバイスは盛んになりません)。

 これまで生徒が取り扱ってきた主なプレゼンテーマは次の通りです。

1 校則の必要性
2 学校週5日制について
3 法的な罪と倫理的な罪
4 オンラインのコミュニケーションはコミュニケーションか?
5 ペットは必要か?
6 大麻合法化について
7 LGBTQと近代社会
8 消費税は必要か?
9 好きとは何か?
10 少年犯罪について
11 大人と子ども、どちらがいいか?
12 学校は朝からか、昼からか?
13 結婚は必要か?
14 尊厳死

 その中で、ある生徒が「LGBTQと近代社会」というテーマでプレゼンしました。

 他にも何人かの生徒が同じテーマでプレゼンしていて、いずれも社会的な事象として第三者的な視点で取り扱っていました。その生徒も、一般的な結婚のメリットとデメリットや、同性婚のメリットとデメリット、同性婚に対する国ごとの違いであるとか、パートナーシップ制について説明していましたが、プレゼンの終わりに、ごく個人的な話を始めたのです。

「好きだという気持ちに、異性とか同性とか区別があるのでしょうか?」

 そう切り出したあと、

「私は今まで異性を好きになったこともありましたが、同性も好きになったこともあります。それから、同性の子から好きだと言われて、その気持ちを大切にしようと思いました」

と話しました。そして最後に、

「私は、私の肌の色とか、言葉とか、性別とか、どこの学校とか、生徒という立場とか、じゃなくて、私を見てほしいと思っています。私は私です」

と述べました。物静かで大人しい日ごろの印象からは想像できない力強さがありました。それは私だけでなく聴いていた生徒たちも同じだったと思います。誰ひとり茶化したり笑ったりしませんでした。

 内容が最後に個人的なものになったからでしょうか、質問は誰からも出ませんでした。ただ、前に座っていた何人かの生徒が、拍手のときに親指を立てたり小さく手を振りながら
「すごい」
「いい」
とその生徒に話しかけていました。

 授業が終わって、その生徒を呼びました。
「きみが一番言いたかったことは、マイノリティとか差別とかのことだったの? それとも『私は私だ』ということだったの?」
と聞くと、その生徒は

「『私は私だ』ということです」

と即答しました。そこで
「LGBTQの問題は、つまりアイデンティティの問題だと言いたかったんだね」
と言うと、その生徒は何度も大きくうなずいて

「そう、そうです。性別の話じゃなくて、私は私だと思うことがLGBTQなんです」

と、少し苦しそうに言葉をつまらせながら答えてくれました。私は、とても素晴らしいプレゼンだったよと言って教室を出ました。
 私はその生徒を、一個の人間としてリスペクトしています。

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