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誰もが羨む花形から転落するまで

※この記事は、東日本大震災の内容を含みます。ご気分を害しやすい方は、お控えください。

こんにちは!
初めての人もそうでない人も、ここに来てくれてありがとう(*'▽')

みなさんは、何かに飛び込んだご経験はありますか?

例え、人生を遠回りしたり、意味がないと思ったことでも、がむしゃらに頑張った経験は、自分を強くします。

今回は、僕ががむしゃらに頑張って良かったこと、そしてそこから学んだことを紹介します。

マガジン「過去の自分に伝えたいこと5選」の1つ目の記事です。

この記事が、誰かの今後の人生のお役に立てますように。

それでは、参ります!

建築の道に進んだきっかけ

僕はもともと建築設計が専門です。
ここに来るまでを振り返ると、話は中学生までに遡ります。

高校受験を控えていた頃、勉強が苦手だった僕は、第一希望の高校とは別に、念のため第二希望で滑り止めの高校を併願していました。

模試の判定も満足できるものではなく、担任の先生からも、第一希望の高校に合格できる見込みはないと言われていました。

そして案の定、第二希望の高校に滑り止めで入学することになったのでした。実はここから建築の道に進むきっかけが生まれます。

高校に入って驚いたことは、自分の成績が常に上位であったこと。十段階評価で、殆どの科目が二桁でした。
恐らく、高校受験の成績が、第一希望の高校ではビリ、第二希望の高校で上の方だったのだと思います。
中学の頃より勉強を頑張ったかと言われれば、そうでもなく、登山部の一員として、部活に明け暮れる日々でした。

今思えば、第一希望の高校にありがたく不合格になれたので、青春を謳歌した高校生活がおくれたのだと思っています。

そして大学受験を控えた高校三年。
受験勉強をすることなく、一番条件の良かった大学の建築学科に指定校推薦で入学することになったのでした。
これが建築の道に進んだきっかけです。

今思えば、なんの苦労もなく、進路が決まったことに、とても恵まれた環境にいたのだと感じます。学費を出してくれた親にも感謝です。

人生の何が正解で、何が不正解なのかは、その時には分かりません。
ただ、過去を振り返ることで、これで良かったんだなと思うことがたくさんあります。

「人間万事塞翁が馬」ですね。

新卒で設計事務所に入社

大学で留年することもなく、運よく新卒で建築設計事務所に入社できました。同じ大学の仲間もやはり建築関係の道に進んだ人が多く、特に設計事務所は業界の中でも花形で、羨ましがられていたことを覚えています。

少人数の会社で、新人は僕だけでしたが、10歳以上も離れた先輩たちがいつも支えてくれていました。

当時の僕の業務内容は、耐震診断と耐震設計
築年数が経過した住宅や、公共建築物にお邪魔して、建物の設計図を片手に室内はもちろん、床下、屋根裏、屋上、外壁などを隈なくチェックし、それぞれの様子をカメラにおさめます。

簡単に言えば、建物の健康診断ですね。

そして、事務所では診断報告書の作成や、耐震設計を行っていました。
既存の建物はそのままに、どうすればもっと地震に強い建物になるか?を考えることが耐震設計です。

当時、東日本大震災が発生して間もない頃だったため、仕事は断るほどたくさんありました。多くの方が犠牲になったニュースを目の当たりにして、改めて自分の仕事が重要で、必要とされていることを強く感じた日々でした。

そして、社会人になって初めて僕の中で一つの目標が確立されます。

「一級建築士になって、多くの人が安心して暮らせる街づくりがしたい」

当時まだ23歳。
心の中で、メラメラと何かが燃える熱い気持ちが確かにありました。
登山と一緒で一歩一歩進めば、いつか頂上に辿り着けるはず。
コツコツと何かを積み上げて目標を達成する経験は、高校の登山部から学びました。

自分の夢を達成するため、ここから人生の登山がスタートします。

それでも立ち上がり・・・

朝6時。
勤務先まで1時間半かかるため、平日はいつもこの時間に起床していました。

土日はお休みですが、僕に休みはありません。
一級建築士になる夢を叶えるため、土日に予備校に通うことにしました。
建築士の場合、大学の建築学科で必要な単位を取得すると、受験資格を得られます。卒業しても資格を得られるわけではありません。
そのため、多くの人は建築士になるための予備校に通い、勉強をしてから試験に臨みます。

とは言っても、もう10年以上前の話ですので、今の試験制度が同じか分かりません。今はもっと厳しくなっているのでしょうか?

当時の試験は1次の学科試験、それに合格すると2次の設計製図試験がありました。合格率の低い試験だとは知っていましたが、初めての受験で学科試験に合格することができました。

そして、学科試験の合格者は浮かれているヒマもなく、設計製図試験の対策が早速スタートします。

設計製図は、その名の通り建物の設計図をA2用紙1枚に手書きで描く試験です。

試験時間は通しで6時間30分

忍耐と技術が必要とされ、過去問をやるだけで半日かかります。
そこから添削して復習などをやれば、あっと言う間に一日が終わってしまいました。

そして迎えた、設計製図の試験当日。
僕は時間が足りず、最後は走り書きになってしまい、満足な仕上がりにはなりませんでした。

結果は不合格

初めての挑戦にしては、まずまずの結果だったと思っています。

学科試験に合格していたため、次の年は学科試験が免除になります。この一年は無駄ではなかったと思い、再度挑戦するため、予備校に通い続けることにしました。

そして迎えた翌年、万全の対策をして設計製図試験に臨みましたが、結果はまた不合格

特に会社から資格を取れとも、誰かに言われたわけでもありませんでしたが、自分で見つけた夢を実現させるためにも、まだ飽きらめる訳には行きませんでした。
20代前半でガッツがあった僕は、3年目も受験することに決めました。何度でも立ち上がります。

平日夜は、仕事から帰って来てから、ご飯とお風呂を済ませ、そこから設計製図の過去問に取り組む日々でした。6時間30分の試験なので、1個の過去問が終わるといつも夜中の3時を回っていました。そこから軽く復習をして、明け方4時に寝る生活です。

そしてまた6時に起床して出社。2時間寝られればいい方でした。もちろん土日は予備校で朝9時から21時まで缶詰です。

気付けばこの生活が3年間も続いていました。

人生初の挫折

建物の耐震診断に向かうため、いつも通り会社から現場までで向かっている道中のことでした。

右折のため、対向車をやり過ごしながら、交差点内で停車している時、等間隔な車の流れと、リズムに狂いのないウィンカーの音で心地よくなり、一瞬だけ意識が飛びました。

突然の睡魔で、ハッ!とした次の瞬間、

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