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脱学校的人間(新編集版)〈74〉

 脱学校といえばイヴァン・イリッチであり、イヴァン・イリッチといえば脱学校である、というように世間一般では認識されているものなのだろう。そんな彼の主張する思想は、オルタナティブな教育を唱えるものとしても極めてラディカルだとされていた。
 では、当のイリッチ自身はそのあたりをどのように考えていたのか。
 「単に制度だけでなく社会のエートスをも『脱学校化(deschooled)』しなければならない」(※1)とイリッチは言っているのだが、しかしその一方では「脱学校化は、教授と学習の世俗化でなければならない」(※2)とし、さらにまた「最も広い意味において学校を廃止することを求めることと、それに関連して教育に対する自由を保証すること」(※3)が必要なのだとも言っている。
 結局、イリッチは一体何をしたかったのであろうか?
 実のところイリッチ自体にしても、やはりどこかしらでは「教育の意図」に対抗するために、一方で「教育の意義」なるものを考えてしまっていたのではなかっただろうか?そこで要するに彼は「学校に代わる新たな教育が必要だ」というようなことを、ただ主張していたのにすぎなかったのではないか?ゆえに結果として彼が提示するものは、彼自身の志向する「真の教育」などといった一種のイデオロギーに帰着してしまうことになったのではないだろうか?
 とすると「脱学校」とは本当にそのような、「ただ単に、学校あるいは教育を脱学校化するだけの話」に終わってしまうようなものだったのだろうか?

 一般にイリッチが主張する「脱学校論」に対して向けられる関心とは、「その教育方法をめぐる議論」に落とし込まれている。例を挙げれば『脱学校の社会』第六章などにおいて語られているところの、「ラーニングウェブ」だの「ホームスクーリング」だのといった、個別的な「教育のノウハウ」についての話について議論は終始し、あたかもそれが「脱学校自体の可否あるいは是非」を判断する材料とされている。それによって、山本哲士も端的に指摘しているように、一般において「脱学校とは、いわゆる学習ネットワークの一種だと考えられ、ここにその結論があるものと見なされている」(※4)ようになっていったわけである。
 しかし実際イリッチ自身においても、そのような一般の見方に対しては、どうも言わずもがなの「リップサービス」をしてしまっている部分があるのだ。要するに彼自身としても結局のところは、そこで自分から何か「学校の代わり」のようなものを人々に提案してしまっているわけである。それこそがまさしく、『脱学校の社会』第六章において議論されている一連のことであるのに他ならない。
 ではなぜイリッチは、そのようなことをしなければならなくなってしまったのだろうか?
 それは結局、「そのようなものを必要としている人たちが実際にいるからだ」と言うしかないだろう。そのような「何か自明の前提がなければ、物事の何も理解できないし、何も考えることすらできないような人たち」が、実際のところ現実に数多いるわけである。というより、実際問題として「ほとんど全ての人たちが、そういう人たち」なのだ。
 そのような、何か個別具体的な叩き台でもない限り、「脱学校化された社会や学校を廃止してしまった後の社会の教育制度などを思い描くことができない」(※5)ような人たちのために、彼らが容易に思い描けるような「脱学校後の社会における、新たな教育制度についての個別具体的なヴィジョン」を提供することが、むしろこの議論を進めるには必要なのだというようにイリッチは考えたのであろう。とすると、はたして彼はそのように、「学校とは異なる、新たな教育のノウハウ」を提供でもすれば、自説について人々が納得するものと考えていた、というわけなのだろうか?

 しかし、「ノウハウ」というものはあくまでも、現状に適応するために考えられているものである限り、それをめぐる議論は結局のところ、現状を追認するものにしかなりえないのである。だがそのような、「何かノウハウのようなものがなければ、現状に適応できないように条件づけられている現実」こそ、脱学校を考える上で本来まず真っ先に、問題とされるべき事象となるはずであったのだ。イリッチは、自分自身でそのように切り出しておきながら、いつしかそのことをうっかり忘れてしまっていたのだろうか?
 ともあれ、現にそのようなイリッチの「新しい教育のノウハウ」をめぐる大盤振る舞いなサービスに、人々はまんまと食いついたわけである。しかしそういったイリッチによる過剰サービスが、むしろ逆に「脱学校という概念」について、無用な誤解を招いてしまったのではなかっただろうか。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 イリッチ「脱学校の社会」東・小澤訳
※2 イリッチ「学校をなくせばどうなるか?」松崎巖訳(『脱学校化の可能性』所収)
※3 イリッチ「学校をなくせばどうなるか?」松崎巖訳(『脱学校化の可能性』所収)
※4 山本哲士「学校の幻想 教育の幻想」
※5 イリッチ「脱学校の社会」東・小澤訳


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