可能なるコモンウェルス〈52〉

 古代イオニアのイソノミア=無支配について、その渦中にあった当の人々にとって、それがあまりにも自明なことに思われていたがゆえに、さして理論づける必要も感じられておらず、そのせいもあってそのはっきりした記録が残されていないというのは、すでに言及した通りである。一方のアメリカについても、当時の植民者たちは自分らが「現に実行しているタウンシップについて特に意味づけたり理論化したりしなかった」(※1)と言われており、この点についても両者の強い類似点を見出しうるだろう。
 そのように、イオニアやアメリカにおいて人々が「現にしていたこと」が、その少なくとも「現にしている最中」については、殊更「彼ら自身」によって何か意味づけられたり理論化されたりすることがなかったというのは、そうするまでもなくただとにかく「彼ら自身によって現に実行されていることだったから」こそ、彼ら自身があえてそのことを「振り返ってまで考えてみようとも思わなかった」ということであろう。要するにそれは彼らにとって「現に生きていることそのものと同義だった」わけである。ただとにかく彼らは「そうして生きていただけ」なのだ。そしてそのように「現に生きている人」自身にとって、「現に生きていることは、自明なこと以外の何ものでもない」のであり、そのことを「振り返ってまで考えるよりも、まずはとにかく現に生きるしかないのが現実」なのだ、というわけである。
しかし、そんな彼らの実際にしてきたことが、やがて「後の時代」において「政治思想として重視されるようになったのは、それがすでに形骸化したがゆえ」(※2)であったというのは、つまり「そのとき」にはもう、「誰もがもはやすでに、現にそのようには生きていない」ことにおいて、あるいは「誰もがもはやすでに、現にそのようには生きられない」ということにおいて、「かつては誰もがそのように生きていたこと」の、その事実としての「意味」が、そこではじめて見出されることになったというわけである。そこではじめて、「そのように生きよう、という理念」が考えられるようになった。あるいは「そのように生きるべし、という規範」が見出されるようになったのだ。

 「思い出」というものは、その出来事が「そもそもあったもの」であるかのように錯覚させる。しかし「実際のそのときにおいては、そもそも何もなかった」からこその「出来−事」である。そのような「出来−事」だからこそ人は、一つの特異なトピックとして「思い出しうる」のだ。しかし一方で人は、「実際のそのときには、ただ単に現にそうしているだけ」なのである。それが「やがては思い出になる」などとは、実際のそのときにはいっさい何も考えていない。「実際のそのとき」がもはや、「そのときではなくなったとき」においてはじめて、人はそのことを「後になって思い出すだけ」なのである。
 「イソノミア=無支配」もまたそのように、結果として「後になって見出された、あるいは思い出された」ということなのだろう。そのときにおいて実際には、たとえば「支配をなくそう」とかいうようにはおそらく「考えられてはいなかった」のかもしれない。ただ単に、そこには「支配の入り込む余地がなかっただけ」だったのかもしれない。ともあれ実際のそのときにはただとにかく、そこに「無支配がある」などとは、「誰も考えなかった」だろう。そこに「支配が見出されていない」限りでは。そして「後」になってそこに「支配が生じてしまった」ことで、結果としてそこに「かつてあった無支配」を見出してしまったのであろう。つまり、そこに「それまではなかったはずの支配が生じてきてしまったから」こそ、「その対比」として、「かつてあったこととしての無支配」がようやく思い出されることになった、ということなのだろう。理念やら概念やらといったものは結局のところ、そのように「現実が形骸化した後の空虚」に見出され、生み出されてくるものだというわけだ。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 柄谷行人「哲学の起源」
※2 柄谷行人「哲学の起源」

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