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小説 最後のお弁当

小説 最後のお弁当

今日で弁当作りも最後か……

 私は台所に立ち、夜明け前の薄暗い空を窓から眺めた。予約設定していた炊飯器には炊きたてのご飯が出来上がっている。私は早速卵を割り、素早くかき混ぜる。夫は明太子が入った玉子焼きが好きなので、今日はそれを入れよう。

 こんな風にお弁当のおかずレシピを頭の中で、組み立てられるようになったのはいつの頃からだろうか。新婚当初は作れるおかずも少なくて、冷凍食品も気軽には買えなか

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小説 ケア・ドリフト⑧

小説 ケア・ドリフト⑧

 ユニットのメンバーは自然とユニットに集まっていった。勿論、その中には丹野も含まれる。あの施設長や主任の説明では納得できないと誰もが感じ取っていた。
「どうして何も家族さんと話しちゃいけないの?それが全然分かんない。施設長も主任もバカじゃないの」
 若菜の怒りのトーンは天をも突き抜けんばかりであった。
「若菜さん、怒る気持ちは分からないでもないけど、ここで言うことじゃないわよ」
「丹野さん、じゃあ

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小説 ケア・ドリフト⑦

小説 ケア・ドリフト⑦

 結局、個人的な面談は開かれないまま、ユニットミーティングの日を迎えた。丹野は、上は口だけじゃないかと憤りを感じてもいたが、施設の状況をつぶさに見てきた彼としては、仕方がないだろうという思いもあった。しかし、最大の想いは面倒なことにかかわりたくないということだった。
 

 数日前、青嶋にメールを送ってから、返信が来たのはユニットミーティング当日だった。丹野が送ったメールは至ってシンプルなものだっ

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小説 ケア・ドリフト⑥

小説 ケア・ドリフト⑥

 休憩中に、葛西が入院するとの知らせが入った。ちょうど、丹野と一緒に休憩していた東野介護主任の携帯電話に連絡が入ってきたのだ。東野はどうにも不機嫌で、常にムスッとしながら食事を摂っていた。急いで食事を済ませて、喫煙所に逃げ込もうと丹野が画策していたところで電話がかかってきたのだ。
「葛西さん、入院するんだって。家族さんが必要な荷物を取りに来られるから、対応よろしくね」
 電話を終えると、東野はそう

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小説 ケア・ドリフト⑤

小説 ケア・ドリフト⑤

「それで、この施設がヤバいというのは、他にも要因があるんだ。施設長が言うには『私には決裁する権利がない』ってことなんだ。これってどういうことか分かるか?」
 岡田の顔が急に凄みを増した。声も地の底から出すような物に変質している。その声色に、丹野の表情もいよいよ曇っていく。
「つまり理事長が給料出すのを渋ったら、給料がストップするってことだよ。あの理事長の性格からしたら、儲けが少ないとなったら、やり

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小説 ケア・ドリフト④

小説 ケア・ドリフト④

 結衣の住む家に到着したのは一九時を五分程過ぎてからだった。彼女は白い七分袖のシャツにスキニージーンズといった出で立ちで、ポテチを食べていた。
「遅いって言いたいけど、急な残業だから、マー君は責められないよね。会社が悪い」
 助手席に座った彼女にそういう結論を出させてしまうことに、丹野は罪悪感を覚えずにはいられなかった。ちなみに、”マー君”とは丹野の下の名前「真斗(まさと)」から取られたものである

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小説 ケア・ドリフト③

小説 ケア・ドリフト③

「どうかした?」
 君子が声をかける。丹野の記録を書く手が止まっていた。
「それヤバいよ。派遣の職員が一斉に引き上げたら、とんでもないことになるぞ!」
 丹野が危機を募らせると君子も、
「それって八代さんもいなくなるってこと?」
 と慌てだす。すると、スリッパを履いた足音が聞こえてきた。そして、その音は隣のユニットに入ったところで消えた。
「八代さん、特養やまびこへの派遣契約を解消しました。撤収し

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小説 ケア・ドリフト①

小説 ケア・ドリフト①

 山に囲まれた特別養護老人ホームやまびこに何台もの車が入ってくる。しかも午前六時三十分に、である。日の出の時間が四時台になるくらいの時期だが、梅雨明け前の空は厚くて黒い雲のせいか、まだ日が出ていないようにも思えた。この時間帯に入ってくる車の主は、そんな天気の影響を受けているからか、一様に眠そうな顔をしている。彼らは早番と言われる職員だ。
「おはようございます」
 一人の男が挨拶をしながら、喫煙スペ

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