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小説 ケア・ドリフト④

 結衣の住む家に到着したのは一九時を五分程過ぎてからだった。彼女は白い七分袖のシャツにスキニージーンズといった出で立ちで、ポテチを食べていた。
「遅いって言いたいけど、急な残業だから、マー君は責められないよね。会社が悪い」
 助手席に座った彼女にそういう結論を出させてしまうことに、丹野は罪悪感を覚えずにはいられなかった。ちなみに、”マー君”とは丹野の下の名前「真斗(まさと)」から取られたものである。
「ごめんな、遅くなって。どこで飯食う?」
 丹野は仕事の話題から上手く逸らそうとしていた。そうしないと、自分が潰れそうになるからだ。
「そしたら、いつもの焼き鳥屋に行こうよ」
「あそこでいいの?今日はうんとご馳走してあげるから、遠慮すんなよ」
 結衣が気を遣っていることに、丹野は少し苛立ちを覚えていた。素直に言うことを聞いてくれればいいのに、そう思わずにいられなかった。気がつくと、指でハンドルを叩いていた。結衣はそんな苛立ちに気づかないのか
「今日は焼き鳥が食べたい日なんだ。それに店長にも会いたいからね」
 と屈託のない笑顔で言った。丹野はこの笑顔に惚れたのだ。
「分かった、今日は焼き鳥な」
「やったー」
 二人を乗せた車は焼き鳥屋へ向かった。
 丹野が結衣と出会ったのは、高校時代の男友達の紹介だった。その男友達の友人の妹が結衣なのである。その男友達は高校を卒業すると、東京の大学に進学する為、上京していった。男友だちの友人、つまり結衣の兄も離れて暮らしているから、地元に残っている知り合いは、丹野と結衣など数えるほどしか残っていなかった。

 焼き鳥屋に着く頃には小雨が降り始めていた。
「もうすぐ梅雨明けるのにね」
 などと結衣が呟くのを横目に、焼き鳥屋に入っていった。
「いらっしゃい」
 威勢のいい声がして、店内を見渡すと五坪くらいのスペースは客でいっぱいだった。カウンターの端が一つ、真ん中ら辺が一つ、それぞれ席が空いていたので、詰めてもらい、二人はカウンターに座ることができた。すると、店長が
「よう、いらっしゃい。何にする?」
 と話しかけてきた。
「とりあえず生中一つと烏龍茶一つね」
 結衣はまずそのように返事すると、メニューも見ずに、
「皮とネギマ、あと砂肝二本ずつ、タレでお願い」
 と慣れた感じで注文した。
「あいよ、結衣ちゃん相変わらず、生中好きだね。マー君は何か頼まないかい?」
 店長は揶揄うように丹野に声をかけた。
「マー君って、恥ずかしいからやめてくれよ。丹野でいいから。とりあえず、今頼んだのでいいや」
 そう言うと、丹野は顔を赤らめた。本当は飲みたいところなのだが、ハンドルキーパーである手前、それは叶わぬことだった。
 やがて、ジョッキに注がれたビールと烏龍茶がやってきた。二人は乾杯すると、ジョッキの半分くらいまで飲んでいった。やがて、焼き鳥が来ると、それを肴にビールや烏龍茶が進んだ。店長は焼き鳥を焼きながら、丹野と結衣に話しかけてくる。
「うまいか、今度はぼんじりはどうだ?」
 などと言うと、結衣もお酒が入って気が大きくなり、
「それも頼むね、あとレモンサワー、お願い」
 と返す。
 この調子で二時間くらい経つと、すっかり結衣は酔っ払ってしまった。店を出た結衣はフラフラ歩き、丹野は彼女を支えながら自分の車まで向かう。もちろん、支払いも丹野が行った。
「今からマー君家行って、飲み直しだー」
 上機嫌そうに結衣が言うと、車を運転している丹野はすかさず
「バカ言え、今から結衣ん家まで送っていくから、静かにしてな」
 と返した。
「えー、嫌だよー。マー君家行って、二人でラブラブするのー」
 結衣はシートベルトで固定された体を必死によじらせて、アピールをする。
「明日も仕事なんだろ。それくらい考えて飲めよなー。ビールジョッキでガバガバ飲んで。しかもチャンポンだぞ」
「仕事なんていいの。マー君のお嫁さんになるんだから」
 結衣の口調がだんだんと陽気ではなくなってきた。丹野はまた怒らせたかと、彼女の顔を見ずに運転に集中しようとした。しかし、結衣は何もしてこない。いつもなら、口喧しくまくし立てるはずなのに。そして、黙りこくったかと思った次の瞬間、ぐしゅぐしゅとすすり泣く声が聞こえた。
「結衣、泣くなって。資金貯まったら結婚しよう。な、大丈夫だって。約束は守るから」
 結衣を安心させようと、丹野はさまざまな言葉を並べてみた。しかし、どれもこれも薄っぺらく、琴線に触れるようなキラーフレーズは見当たらない。結局、この場を収めるには彼女の言うようにしなければならないだろう。
「一緒にいたいよー。今日は帰らないからね」
 涙声で絞り出すように、結衣は声を出す。結局、丹野は彼の家に結衣を連れて帰ることにした。

 丹野の家は焼き鳥屋と結衣の住む家のちょうど中間くらいにある、二階建てアパートの二階だ。駐車場に車を停めると、助手席に座る結衣に声をかけようとした。しかし、結衣はいつのまにか眠ってしまったようで、すぐには起きなかった。いつの間にか、雨は上がっていて、蒸し暑い空気がその場を支配していた。夏の訪れが近いことを感じ取れる厚さだ。丹野は車を降りると、駐車場の端の方で、電子タバコを吸い始めた。気がつくと、昼休憩を最後にもう六時間以上もタバコを吸わずにいられた。昔は三時間くらいでイライラしていたのだが、それが嘘のようである。それも結衣のおかげだった。彼女がいなければ、タバコをやめようとは思わなかっただろう。それだけではない。仕事も中途半端で辞めていたかもしれないし、その日暮らしをしていたかもしれない。結衣には本当に助けられっぱなしだったと彼は思っている。だからこそ、結衣とは最良の状態で結婚したいとも思っている。考えは堂々巡りするばかりだ。一本タバコを吸い終えると、チラッと車の方を見た。結衣が伸びをしている。丹野はゆっくりと車へ戻っていった。
 部屋に帰ってくると、結衣はすぐに玄関にへたり込んでしまった。そこからベッドへ連れていくのに、結衣を負ぶっていった。彼女がベッドに入ると、たまらず丹野は口づけをした。やはり、酒の匂いがした。それでも、彼が結衣の体を欲するのには十分だった。ベッドに潜り込むと、今度は結衣の口に舌を入れ、激しくキスをした。結衣が感じているのを確認すると、丹野は一枚ずつ彼女の服を脱がしていった。まずはジーンズを下ろし、白いシャツを脱がせた。靴下を脱がせ、上下赤い下着姿になった結衣を見ると、丹野はますます興奮した。自分の服を全て脱ぐと、再びキスをした。
 それからの二人は激しくも楽しく快楽の時間を過ごした。結衣の酔いも醒めたようである。
「シャワー浴びていい?」
 彼女が聞くので丹野は、
「いいよ、ちょっと汚いかもしれないけどな」
 と答えた。結衣が暗闇の中を歩くと、
「痛っ」
 と声がした。足の小指をぶつけたらしく、服をまとっていない結衣は痛そうに片足を上げて、飛び跳ねていた。ニヤニヤする丹野に、
「もう、笑ってないで助けてよ」
 と結衣は声を潜めて、怒っている。
「ごめん、大丈夫?」と半笑いで言うと、結衣は丹野の頭を叩き、怒りを表している。シャワーから出た湯が流れる音が聞こえると、丹野に眠気が襲ってきた。ウトウトしながら、丹野は、かつて岡田が話したことを不意に思い出した。

つづく

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