#友人
どんな形でも”一歩”を踏み出すために
泣き面に蜂 踏んだり蹴ったり 弱り目に祟り目
一難去ってまた一難、ぶっちゃけありえない(プリキュア)
そのようなことで心のキャパシティーを超えてしまった時、あなたはどのような手段を取ろうとするだろうか。
①もう何もかも諦めてしまう
②許せない、許せない、許せない、変わってやる
③ただただ泣いてしまう
どんな形でも踏み出すためには、どの手段を選んでも構わないと思う。
ただ変わるための
望まない1人だけの世界は「汚らしい」ものなのか
孤独であることを「受け入れる」というのは至難の業である。
しかし、今僕はどうにか受け入れようとしている。誰もが「孤独」を受け入れているとは言い難いなかで。
声をかけてくれる人がいれば、頻繁でなくても連絡をくれる人がいれば違う。僕の場合は、自分から連絡する、誘う、計画するなどが100%なため「本当の孤独」といってもいい。
僕は、孤独が一番怖い。今でも誰の心にもいない。誰かの心にいれば、今頃僕は
大勢の人のなかでの「天涯孤独」
誰も自分だけを見てくれるわけではない。だから、誰にも期待してはいけない。誰にも期待などしてない。
全ての人が、僕を直視して欲しいとは思わない。
四六時中、自分を感じていて欲しいというわけじゃない。
ただ自分が誰の心にも存在していないのが苦しいのだ。親でさえ、友人でさえ、誰の心にも僕はいない。
「心にいない」その意味は
大切にしてもらない、愛してもらえない、仲間だと思ってもらえない。どんな努