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三島由紀夫という迷宮

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〈英雄の死〉にあこがれたこの人にとって、「戦後」とは〈まろうど〉としての「観光」の時間だったー
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三島由紀夫という迷宮➀                      海と〈乃木神話〉    柴崎信三                                                          

三島由紀夫という迷宮➀ 海と〈乃木神話〉   柴崎信三               

〈英雄〉になりたかった人❶

 そのころ作家の司馬遼太郎は幕末の攘夷派の志士、吉田松陰と高杉晋作を主人公にした小説『世に棲む日々』を連載しているさなかだったから、一九七〇年十一月二十五日の翌日の『毎日新聞』に「異常な三島事件に接して」と題して寄せた論評は、そこから三島由紀夫の死を論じている。

 戦後日本を代表する華やかな人気作家が白昼、〈私兵〉の若者を伴って東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室

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三島由紀夫という迷宮②     ダンヌンツィオに恋をして           柴崎信三

三島由紀夫という迷宮② ダンヌンツィオに恋をして      柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❷

 毎年師走が近づくと、半世紀前の〈あの日〉の市ヶ谷台を包んでいた異様な熱気と興奮を思い起こす。                        

 現場に到着した時、上空ではまだ取材ヘリの爆音が響いていたが、すでにことは終わっていた。バルコニーに立った三島由紀夫の最期の演説を聞いた自衛官たちは三々五々前庭から立ち去り、東部方面総監室の前の壁面に〈楯の会〉の檄文の幟が垂

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三島由紀夫という迷宮③   「太宰さんの文学は嫌いです」                 柴崎信三

三島由紀夫という迷宮③ 「太宰さんの文学は嫌いです」 柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❸

 終戦の年に20歳の三島由紀夫が書いた短編小説『岬にての物語』では、11歳の彼が家族とともに避暑に出かけた外房の鵜原の海岸を舞台に選んで、白日夢のような奇譚が語られる。
 母と妹と書生とともに避暑で訪れた房総の海辺で、11歳の主人公の少年は散策の途中、別荘の廃屋から美しいオルガンの旋律が流れてくるのを聞く。誘われるように中へ入ると、ひとりの青年と美しい少女に出会い、か

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三島由紀夫という迷宮④ 〈アルカディア〉は何処に              柴崎信三         

三島由紀夫という迷宮④ 〈アルカディア〉は何処に     柴崎信三         

〈英雄〉になりたかった人❹


 初めての「洋行」で巡った欧州の経験の最初の具体的な結晶が、二年後の1954(昭和29)年に発表した小説『潮騒』である。
 作家が遺したおびただしい作品群のなかでも、『潮騒』の特異性は際立っている。もちろんこの純愛小説は、流行作家になって活動の幅を広げてゆく三島がエンターテインメントとしての作品の画期をなし、それがベストセラーとなって繰り返し映画化されるなど、同時

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三島由紀夫という迷宮⑤    金閣炎上と〈肉体改造〉            柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑤ 金閣炎上と〈肉体改造〉      柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人➎

 日本研究者のドナルド・キーンは、〈日本的なもの〉といわれる美意識の源泉を室町幕府の八代将軍、足利義政の事績に求めている。応仁の乱の原因を作り、政治的にはほとんど統治能力を欠いた人物と今日では見られてきたが、銀閣(慈眼寺)を建立し、雪舟をはじめとする当時の画家たちを支援した。連歌や能楽の振興など「東山文化」を生み育てた〈文弱の王〉である。

 「暗示」と「不均衡」と「

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三島由紀夫という迷宮⑥ 白亜の邸宅と〈空洞〉の時代   柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑥ 白亜の邸宅と〈空洞〉の時代   柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❻

 三島が日本画家、杉山寧の長女、瑤子と結婚したのは、豊田貞子との3年にわたる関係に終止符を打った翌年の1958(昭和33)年6月である。文学上の師で、のちにノーベル文学賞受賞をめぐって先を越されることになる川端康成夫妻が媒酌人を務めた。知人の紹介による見合い結婚である。

 6月1日に行われた挙式と披露宴、その後の箱根、京都、別府、福岡などをめぐる2週間の新婚旅行は

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三島由紀夫という迷宮⑦ 雪の朝、銃声響き渡る    柴崎信三                                                   

三島由紀夫という迷宮⑦ 雪の朝、銃声響き渡る    柴崎信三                                                   

〈英雄〉になりたかった人❼

帝都が純白の雪化粧に覆われたその朝、十一歳の平岡公威は東京四谷の学習院初等科に登校して初めて、事件のことを知った。
「総理が殺されたんだって」
級友の子爵の息子が声を潜めてそう囁くのに対し、彼は「ソーリってなんだ」と無邪気に聞き返し、ようやく総理大臣のことだと知った。
斎藤内府が殺された私邸も学校のすぐ隣にあり、その朝の教室には不気味な不安が広がってい

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三島由紀夫という迷宮⑧  「この庭には何もない」       柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑧  「この庭には何もない」 柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人➑

 最後の長編小説『豊饒の海』の第一部『春の雪』の雑誌連載は、脚色、演出、主演まで担って自作の『憂国』を映画化した1965(昭和40)年に始まっている。ノーベル文学賞の有力候補に名前が挙がり、日本を代表する作家として前途は洋々とみえた。自身が生きてきた時代を舞台装置に選んで、〈伝統〉と〈行動〉、〈時間〉と〈輪廻〉という主題をつないで描いてゆくたくらみは、戦後の三島のなか

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三島由紀夫という迷宮⑨ 〈英雄〉と蹶起                      柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑨ 〈英雄〉と蹶起        柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人❾

 自裁する三年まえの1967(昭和42)年2月、雑誌『芸術新潮』が「三島由紀夫の選んだ青年像」という主題で8点の美術作品をとりあげた。「闘志」「苦悩」「理知」「悲壮」といったテーマに合わせて、ティツィアーノの『手袋を持つ男』やベラスケスの『バッカスの勝利』などとともに、ジャック・ルイ・ダヴィッドの『ナポレオン・ボナパルトの肖像』が「英雄」の表象として紹介された。
 像

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三島由紀夫という迷宮⑩ 無機的で、からっぽな大国                 柴崎信三                                                                                                

三島由紀夫という迷宮⑩ 無機的で、からっぽな大国         柴崎信三                 

〈英雄〉になりたかった人❿

 1970年9月13日、大阪・千里丘陵で行われていた日本万国博が閉幕した。世界77か国が参加し、183日間にわたる内外からの入場者は6421万人に上った。モノレールと動く歩道が会場をつなぎ、NASAのアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示する米国館には連日長蛇の列ができた。音声認識のロボットや移動  体通信などの最先端技術の粋は人々に〈戦後〉の終わりと、グローバルな

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三島由紀夫という迷宮⑪ エピローグ 〈物語〉へ                  柴崎信三

三島由紀夫という迷宮⑪ エピローグ 〈物語〉へ   柴崎信三

〈英雄〉になりたかった人⓫

 三島由紀夫の〈蹶起〉と自裁の日から半世紀が近づいた秋、その現場となった東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部の旧庁舎、現在は敷地内を移転して再構築した「市ヶ谷記念館」の旧総監室を訪れる機会があった。
 「あの日」に駆け出しの記者としてそのバルコニーの前にたどり着いた時、すでに壇上に三島たちの姿はなく、集まった自衛官らはその場から三々五々散って、蹶起の主張を書き連ねた

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