![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135036577/fac15dee9bd01684c492aff427e8e97d.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
#海外バックパッカー
❨818❩1973.11.25.日.晴/アルハンブラ宮殿とサクラモンテの丘へ行く/グラナダ:スペイン
グラナダは古い都だ。
アルハンブラ宮殿を見る(35ペセタ)。
宮殿は大理石造りで、柱や壁、天井のデザインにうっとりした。
4つに分かれており、中央の住居は、庭といい、壁のデザインといい、実に細かく、見事に作られてあった。
庭がまた、花や木が多く良かった。
庭園には、植木の囲いの中にバラが咲き、噴水があり、池には金魚が泳ぎ、美れいだった。
柱、その他のもの、全てがアラブ様式だという。
二階、三
❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン
めまぐるしい旅が続く。九時起床。入国手続きに行く。
パスポート・チェックが厳しい。
パスポート、荷物のチェックの後、再度パスポート、バクシネーション(注射)検査。
天然痘の注射証明がない事で引っかかり、ひとくさりモメたが、懸命に説明し、やっと通れた。
満員のミニ・バス(100アフガン)でゴトゴト、タイバドまで140km。途中でラクダをよく見た。
山の遠い、平原の道。雪はグッと少なくなり、寒さ
❨898❩1974.2.13.水.曇/バーミヤンの石像について/カブール:アフガニスタン
出発は、明日午後9時と決定。
午前中、明日のバスの事でつぶれ、午後は少し本を読んだ(松本清張「張込み」)。
夜、4人でまたラミーをやった。
2時過ぎまで、熱戦。
後、荷をまとめる。
バーミヤン・・・ 世界最大の石像
残念ながらら俺は、この地を見なかった。
この悲しいシャカの石像を見て、人は何を思うのか?
知っている事は、仏教徒が造ったこの像を、イスラム教徒が破壊したという事実だけである。
そ
❨901❩1974.2.16.土.晴/インド入国の厳しさに驚く/アムリッツァ:インド
入国の厳しさには驚いた。
一人の日本人と、一人のアメリカ人の女の子が、ビザがなかったので、パキスタンへ戻さ れた。可哀そうに、泣いていた。
特にハッシッうシー眩惑物一のチェックが厳しく、俺も、ボディ・チェックからスボンの中、靴の中まで調べられた。
一人の日本人は、200ルピー(インド紙幣・約20ドル)を見つけられ、没収された。
俺は、ウマく腰に100ルピーを隠し通した。
インドのルピーは、パキ
❨906❩1974.2.21.木.晴/インドの中で/オールド・デリー:インド
風邪をひいたらしい。
逆療法に、寝る前バケツで三杯、水をブッかけて寝たが、いっこうに効果なし。頭が痛い。
今朝も、寝起きに冷水をかぶる。
チャイティ(ミルク紅茶)に、生卵2コ入れて飲む。
他、野菜ジュース、フルーツ・ジュースを飲んだ。体がえらい。
夜、チャイを飲んで寝袋へ入ると、汗が出た。これでも少し楽になった。
アルゼンチン人に会った。
片言の日本語を話す、コッケイな男。
<インドの中で>
❨917❩1974.3.3.日.晴/この貧しい生活の中にも、子供達の姿は、活々していた/カトマンズ:ネパール
徒々なる一日。
物を金に替えたり、ブラブラ町を歩いたり。
考えてみれば、あの、町を歩いている牛の様ではないか。
この貧しい生活の中にも
子供達の姿は、活々していた。
美食もなく、着飾られる事もなく、
ブランコも運動場も無くても
「自由」と「素朴」な心がスクスク育っていた。
でもやがて、この子達にも、
文明という波が押し寄せて来る。
❨930❩1974.3.16.土.晴/最後の、外国の夜なのだ。/バンコク:タイ
朝は、ごく軽い体操で止めた。腹が減る。
朝食 バナナ3本と牛乳1本・お茶一杯。
あと2缶、土産のお茶を買った。
荷を整理したところ、ちょうどバッグ一杯になった。半分以上が土産である。
夕方、レストランでビール一杯を飲み、ホテルを出た。
夜八時に、飛行場行きのバスに乗る。
時間があったので、荷を置いたままチョット外へ出た。
帰ってみると、バスがいないのに驚いた。
あわてた・・・・・
後のバ