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#自転車
❨73❩1971.11.13 土 晴 チエラ・コロラド(Tierra Colorada)
昨日以上に苦しい一日。
長い長い坂を登り、まいったネ。
何度どなった事か!
それにしても坂(山)の多い国だ、メキシコは。
日本以上だ。
上の方に美れいな川が流れていた。
初めて、こんな美れいな水を見た。
さっそく ぎょうずいだ。
キモチのいいこと。最高だったヨ。
アカプルコへ100km地点から、下りとなる。
景色のいい町に出た。
チエラ・コロラドとかいう所だ。
頼んで家の横の小屋にダウ
❨87❩1971.11.27 土 晴 オアハカ〜テワンテペク(トラック)
昨日の冷飯で朝飯をすませ、石本さんの家を出る。
メキシコ人の家で、お別れ。
またいつか会いたい人だったけど・・・・・。
昨晩石本さんが云ってくれた言葉が、はっきり頭に残っている。
「旅にも 柔軟性が必要だヨ!」
この言葉は、俺の全てにあてはめ、考えなければならない。
さて、道は山に突き当たった。
約5時間走って坂を登る途中、一台のオンボロトラックが止まってくれた(勿論俺が合囲した訳ではな
❨92❩1971.12.2 木 晴 グアテマラ・イン
グアテマラへ入った。
メキシコ出国の際、自転車許可証の事で係官としばらくもめた。
石頭野郎!一時間足止めを食った。
その間、一緒になったアメリカ人と、レストランでビールとフライ・バナナで話し合う。
彼は、一人ジープでパナマまで行って来たそうである。
気立てのやさしそうな男で、おごってくれた。
何とか関門を通過し、グアテマラへ入る事ができた。
ここでも難しく、税関がふたつもあり、二回目では荷を
❨102❩1971.12.12 日 晴 親切なホセ(エルサルバドル最終日)
二人目のホセ。なんて親切な男!
俺はこんなにも純粋な男に、今まで会ったことがない。
一緒にいるだけで 心がなごんでくる。
2人の小さな女の子がいた21才。
貧い家庭だが心から親切にしてもらい、旅に来た悦びを感じた。
ナイフとオスカにもらった地図をプレゼント。
5色ナイフとボックスをもらう。
コーヒーとパンの朝食をごちそうになり、El Carmenを出る。
この国は、小山が多い。
小さな山が
❨119❩1971.12.29 水 晴 パナマシティ・イン
重い。ペダリングがものすごく重い。
疲れも重なって、少しの坂になると、もう踏めない。
この国の道は総てコンクリートで出来ており、継ぎ目のところが少し開いていて、自転車にとっては、頭に来る。
それにあまり広くないし。
今日は最後の山。峠に挑戦。
押して登っている所を、全く予想しなかったが車が止まった。
キャナル・ゾーンまで乗せてもらう。
やあ、長い坂道。
一日タップリかかるところ、10時前に
❨121❩1971.12.31 金 曇 アディオス1971年(Chilibre〜Colón)
大晦なんて全く、所変われば関係ない日だ。
俺ぁそれより、コロンビアへ渡る船を探す事が問題なのだ。
朝キャンプした前の家で、コーヒーとパンと肉をごちそうになる。
一気にコロンまで走った。
今日聞いたところ、ここにもやはり正月休みというのがあり、4日まで港がストップという。
ガッカリした。ここまで急いで来たのに。
予想はしていたものの、困った。
今夜知らずにキャナル・ゾーン(アメリカ領)に
❨166❩1972.2.14 月 晴→曇(時々雨) 赤道通過:エクアドル(Ecuador:Ibarra→)
走り終った今、俺はボンヤリ、ローソクの灯を眺めてこの日記を書いている。
日本へ帰りたい。でも帰れない。
夜は一層孤独になる。
慰めてくれるものは何もない。
ただじっとこらえているしかない。
明日を考えることによって、俺はこの暗い夜を耐える。
80kmの山道を越えて来た今日という日を、噛み締めて黙りこくっている。
今日は、赤道を通過した。
何人の人と言葉を かわしただろう。
そしてどれだけ世話に
❨168❩1972.2.16 水 曇 リオバンバまで汽車に乗る(Ecuador:Riobamba)
30km程走ってから、汽車に乗る。
駅で休んでいて、駅長(兼雑役)と仲良くなった。
親切な駅長で、食物を買って来てくれたあげく、昼からリオ・バンバまで150km(17スックレス)、ただで汽車に乗せてもらう事になった。
貨物とあって、乗客はなし。
俺と機関師がいるだけ。
曲りくねった線路は、かなり高い山まで登った。
久しぶりに雪を見た。寒い。
約9時間、走って着いた。
今夜は、駅の事務所に
❨174❩1972.2.22 火 晴 ペルー:砂漠を走る(Peru:Piura)
今朝も日の出と共に走り始めた。
腹の方は、まだダメ。
今朝も、ピーシャーだった。
40km家も何もない砂漠を走った。
かすむ程に道が延々と続き、暑さと疲れで、俺はもう走りたくないと思った。
疲れが来ている。
もう走るのはイヤだ!
のどが渇いてヒリヒリする。
風が強く、砂と共に横なぐりに吹いて来る。
進まない。頭に来る。
車は、俺をよけるようにして通り過ぎて行く。
途中、止っている車に乗せてく
❨224❩1972.4.12 水 晴 夜汽車でウユニまで (Bolivia:Santiago de Huari→Uyuni )
昼、ウワリの町で一本ビールを飲んだ。
その後の苦しい事。
一時間程、河原でひっくりかえって動けず。
さびれた町があちこちに見られた。
砂にタイヤが埋まって走れない所が何箇所もあった。
薄暗くなり、腹が減って、こんな道を走る時程辛い事はない。
夜、やっとの思いで町に着く。
ここから5時間、夜汽車に乗る(13.5ペソ)。
ウイウニの駅が終点。
窓から見る空の星が、美れいだった。
夜汽車っての
❨232❩1972.4.20 木 晴 400kmの砂漠を乗り切る/アタカマ砂漠(チリ)
ちょっとツユがおりたな。寝袋がぬれていた。
5km下って、5km上って、という今日の道、かなりきつかった。 しかしやっと一つ、400kmの砂漠を乗り切った。夢中だった。
4日間砂漠の中、2ヶ所に貧弱なポサダ(休憩所) があっただけである。
今日3時、町に入った。
よく走ったぜ、今日の3時までに400kmだから、一日平均130kmの計算になる。
食った食った。肉と野菜に飢えていた。
ビール
❨251❩1972.5.9 火 雨→曇 南米南端へ行く為のプランを練る/プエルトモント:チリ(Puerto Montt:Chile)
寒いこと寒いこと、殆ど眠れず。
それに、夜中三度も変な野郎が自転車を狙ってきて起こされた。
全くここの町は、油断もスキもないぜ。
昨日と今日の二日間、南米の南端へ行く為のプランを練った。
計画は二つあり、このプエルト・モンから真横にアルゼンチンへ向かって走るか、又は、船か空で、南端へ行くかである。
船のエージェンシーを回れるだけ回って聞いた。
昼前、港に行き船を探したが、今日はなく、明日入る
❨332❩1972.7.29 土 晴 過ぎて来た国を思い出す:SUMA23日目/サンパウロ:ブラジル(Sao paulo:Brazil)
山田へレコードを送った(26クルセイロ)。
これでやれやれ。
あと手紙を7、8通書いて終わり。出した手紙の中で、果たして何通返事が来るだろう。
当てにはしないが、沢山来るといい。
過ぎて来た国を思い出した。
ロサンゼルス=気候温和で太平ムードの気楽な町。
メキシコ=マリアッチを始め、ステキな音楽が聞けた。
グアテマラ=暑さにはコッテリまいった。
ホンジュラス=たった一日でさようなら。
エル·
❨383❩1972.9.18.月.晴/アメリカ人と日本人/リオデジャネイロ9日目(Rio de Janeiro:Brazil)
今朝俺を起こしに来てくれたスージィが、とても愛らしく、あどけない顔で俺を見つめていた。
滞在がのびている。 ディビッドさんに何かと云って引き止められてしまう。
結局、親切に甘んじ、滞在をもう二日延ばす事にした。
アメリカ人と日本人一ー柔と剛
アメリカ人と日本人、パイオニア・スピリットと大和魂。
その相互の接触、そして隔合によって、人間味はますます深まり幅も出来てくると思う。
しかしその場合、