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❨121❩1971.12.31 金 曇 アディオス1971年(Chilibre〜Colón)

大晦なんて全く、所変われば関係ない日だ。
俺ぁそれより、コロンビアへ渡る船を探す事が問題なのだ。

朝キャンプした前の家で、コーヒーとパンと肉をごちそうになる。


一気にコロンまで走った。

今日聞いたところ、ここにもやはり正月休みというのがあり、4日まで港がストップという。

ガッカリした。ここまで急いで来たのに。
予想はしていたものの、困った。

今夜知らずにキャナル・ゾーン(アメリカ領)にキャンプしているところをM.Pに見つかって、署まで連れて行かれる。

署長はいい気なもんで、俺に漢字のサインを書かせ喜んでいた。
結局領内のキャンプ場にテントを張ることになってしまった。

夕方雨が降り、全く冴えない’71年の最後の日。

アディオス 1971年

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一年の反省

アメリカを夢みる事に始まり、遂にはその地をこの足で踏んだ訳だが、随分家族や友達に世話になったと思う。

金を作る事が第一であった’71年。
と同時に、体操のコーチングにも出来るだけ手を出した。

いつでもそうだが、俺は一つだけの事に集中出来ない様に出来ているらしい。
アルバイトをやりながら体操が忘れられず、いつもフラフラしていた。
それは結局、何でもやり易い環境にあったからだと思う。

今は、体操がやりたくても草の上で転回程度の事しか出来ない。
だから、アメリカを回る事に集中できる。

一つの事だけをやるということのわびしさ。
今それをつくづく感じている。
ともすると投げやりな気持ちになる事が多い。

やらねばならない。
その為に去年一年を演劇も止め、体操もやめたのだから。

この一年、自分の将先進むべき道というものをいつも考えて来たが、まだ分らない。
このサイクリングが終わるまでには、決心がつくだろうが、今は全く見当がつかない。

結婚ということもよく考えた。
したい気持ちはあるが、すれば他の自分の今したいと思っている事が出来なくなる。
故にしない。30才頃までは多分。

アメリカに明け、アメリカにくれたこの一年。
目ざすものがあり、まずその一角に達した事は成功だった。

しかしその過程に於いては、全く、まずい点が多かった。
計画性に欠け、合理的でなかった。
もっと洞察力を養わなければならない。

目前の事にばかりとらわれがちな俺。
もっともっと目を大きく聞けよ!
(パナマ・コロン・ビーチサイド・空家)

Chilibre〜Colón↓

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