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映画『TAR/ター』をみる。

本編を語る前に、まずは突然の引退発言について主宰なりの見解。

あまり良い表現ではありませんが所謂「やめるやめる詐欺」代表格といえば宮崎駿かケイト・ブランシェット、逆説すればそれは「素晴らしい演技また魅せて欲しいぜ」というファンの大きな期待の裏返しでもあります。正直、演じた役柄が今も身体から抜けないのと彼女は胸の内を明かしていました。ケイト史上最も「ヤバい」キャラクター、ゆっくり休んでまた戻ってきて。

ボウイのドキュメンタリー作品以来となるTOHOシネマズです。アカデミー賞6部門ノミネートながらエヴエヴにごっそり持っていかれた、文字通りの「偉大なる敗者」。監督のトッド・フィールドとは『アイズ・ワイド・シャット』以来の邂逅とあって、非常に胸躍っております。ベルリンフィル史上初めてとなる主席女性指揮者リディア・ターを描く159分間。衝撃のラスト。

正直、衝撃のラストといった類の触れ込みはあまり好きな方ではない。ただ冒頭のスマホ動画やクレジットにまでしっかりと伏線が貼られていますからどうぞ、片時も目を離すことなくご覧下さい。予告編の映像が刷り込まれた観客にとってはラスト10〜15分の展開はまさに寝耳に水といった様相です。ハッピーエンドともバッドエンドとも解釈できる奥ゆかしさを備えている。

権威的で利己主義的。元来、音楽に携わる人間とはそういう性格。

それはターが女性だからといって、また同性パートナーとの間に養子を迎え暮らしていることを考えてもあまり物珍しいようには感じられない。他人を蹴落としてでも、権力者に擦り寄ってでも、のし上がっていくのだ。指揮者というのは音楽表現においてそのヒエラルキー最上位に位置しているもの、副指揮者や第1バイオリンとの不和あるいは意見の相違などというのも日常。

ただそれが「事実として存在している不和や意見の相違」であるかどうか、という部分こそがむしろ本作の根幹に関わる部分で。被害妄想や幻聴、他人には見えないものが自分にだけは見える。何かそうした特性がターの行く末に大きく関わってきます。具体的には「強迫性障害」のメタファー。トイレの蛇口を手の甲で触る仕草、同じルーティンを繰り返す日々、また常用薬。

男性社会の中で今日まで作り上げられてきた、オーケストラという「村」。

何かそうした組織構造の中に、ターもまた飲み込まれていった一人なのかもしれません。圧巻のリハーサルシーンとは裏腹に、終始ホラー映画テイストで進行していくストーリーにも胸躍りました。森の中で聞こえた女性の叫び声は名作『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のラストシーンからの引用、トッド・フィールドの鮮やかな仕掛けに魅了されること間違いなしです。

なぜ、マーラーの交響曲第5番が選ばれたのか。それはターの人物像が彼の人生を土台として描かれているからなんですよね。専制君主的な振る舞いが原因で楽団員とトラブルを起こした、ベートーヴェンやR.シュトラウス作品をプログラムに盛り込んだことで保守派の批評家・聴衆のヘイトを買った、等々逸話が残されている。批評家や聴衆もまた権威的で利己主義的な存在。

エゴとエゴのぶつかり合い、それこそが音楽なのだと思います。

独りよがりも罪ですが店を潰してしまうのもまた常連客だったりする訳で。生まれ故郷に戻り、改めて「音楽の楽しさ」を再確認し涙が溢れるシーン。彼女の首にぶら下がっていた銀メダルは、指揮者としての人生の第2章を暗示しているかのようでした。さて次回は再びシネ・リーブル梅田に戻りまして話題の逸品『aftersun/アフターサン』を堪能してきます。


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