記事一覧
貧しさの中に幸せあり
僕には一生をかけて追いたい事があります。
それはより多くの人が幸せを感じながら生きて欲しい。
もっと詳しく言えば幸せを感じるセンサーを敏感にさせて
今まで感じていなかった幸せを感じることで幸せに生きているんだと実感してほしいという目標があります。
なぜこんな事を思うようになったのか?
キッカケは20歳の時に行ったカンボジア。
そこで孤児院、日本語学校に行きました。
確実にこれまでのかちかんが1
自分のために頑張るという事
「自分以上の能力が発揮される時」を自分なりに振り返ってみた。
僕が↑の力が発揮されたとはっきりと言えるタイミングがこれまで3度ある
12歳・18歳・20歳
12歳はソフトボールでキャプテンをしていた時
18歳は高校野球最後の年&受験勉強
20歳は大学のゼミ活動
共通しているのは過去振り返った時に
特にきつかった歳だという事
ただし最後には自分が思い描く成果が不思議と得られたのも事実
何が今
楽しんでやる。の盲点
楽しんで物事を行う。
ある意味正解で、ある意味間違いたど私は思う。
例えばダイエットをする時、
毎朝のランニングをゲーム感覚で楽しみながら行う
これは継続させていくためにも楽しんでやるべきだと思う
反対に腹をくくって行う事
例えば勝ちを求めるスポーツや仕事などに関しては
半分正解で、半分間違いだと思う。
自分を例にあげると野球を10年ちょっとやってきた。
小学校低学年以降野球を楽
弱きものは群がり、強きものは1人立ちする
弱いから悪。強いから良。
という話ではないが、ある程度は強くないといけないな
と、いうことを最近よく思う。
何でもかんでも群がってばっかりの人は
自分一人の力で決断して行くことが極端に減るので
いつまで立っても成長しない。
孤立している時こそ感覚が研ぎ澄まされて
より本質に近づけると個人的に思う。
孤立を使いこなす人で在りたい。
人を信じるということ
人を信じることについて、僕はそんなに得意ではない。
どこか壁を作ってしまっている自分がいる。
ビジネスライクな関係になら比較的にすぐになれるけど
その先にある関係に到達するための壁はかなり厚い
必ずしも悪いとは思っていないが、
これが僕の強さでもあり、弱さでもあるなと感じている。
他人を120%人を信じることは可能だろうか?
掃除と汚れ仕事をしない人は信用しない
タイトルの言葉は自分が小学生の頃から思っていたことです。
当たり障りのないように人と接している人や
自分にメリットがあるから近づいてくる人
いろんな人がいるなかで、信用できるかどうかの
判断材料の1つとして掃除や汚れ仕事ができるか。
を見ていた。
メリットがそんなにない掃除等に対して
どこまで真面目に取り組むことができるか。
これはその人を信用できるかに値すると僕は思っている。
地位が人をつくり、環境が人を育てる
地位があがると責任が増える。
責任が増えると逃げられなくなる。
そうやって立ち向かっていく結果
『経験』という今後の人生で一生使えるコトを
身につける事ができる。
人として成長したいなら目標を決めて
そこへ1歩ずつ進んでいくことも大切。
ここには根気が不可欠
挫折と常に隣り合わせ
10回目標を立てて目標にまでたどり着けるのは
100回に1回くらい?
地位を掴むと選択肢が
や