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2019年2月の記事一覧
10. ライブハウスでバイトする③
大学生がライブハウスでバイトするのはこんなに難しいことなのか?
様々な求人、面接、そして一度働いたライブハウスでの経験を以って、私はライブハウスの闇とハードルの高さを感じていた。
しかし、ついに見つけた。私でも働けるライブハウス。
それはなぜか普通のanみたいな、求人誌に載っていた。比較的新しく、しかしキャパは500くらいの大箱。ちょうどメジャーに行く直前くらいのバンドが出演するライブハウス
9. ライブハウスでバイトする②
いろんなライブハウスに面接に行った結果、私は渋谷にあるライブハウス兼クラブで働くことになった。受付とドリンクのスタッフである。
のちに分かったことだが、ライブというのはドリンクスタッフがほとんどいらない。お客さんは入場時に払うドリンクチケット分の飲み物しか飲まないからである。開演前、演者の転換中、終演後に集中して人が来るので、ドリンクスタッフはその時間だけいれば良い。
しかし、クラブはそうはい
8. ライブハウスでバイトする①
引き続き大学時代のお話。
最初は闇雲にできそうなバイトを探していたが、大学一年生の夏くらいから「音楽に関わる仕事、イベントに関わるバイトをしなければ」という使命感が強くなってきた。なんといっても、憧れはライブハウスだった。
当時の私が知っていたライブハウスは、サークルで使ったことがあるか、先輩が出演していて見に行ったことのあるところくらいだった。東京はライブハウスがジャンルごとに分かれていて、
6. 上京した理由と危険な大人たち③
地元にいた頃からの友達であり、大好きなミュージシャンであった彼女を、どこまでも失望させ、二度と東京に行きたくない、と言わせた男。
後々彼女から詳しい話を聞いて、私の知らないところでたくさんの問題が起きていたことを知った。起きる問題も、それに対する解決法も、私には理解しがたいものばかりだった。
もっと自分でなんとかできなかったのか?と、彼女に思ったこともある。だけど彼女は18歳で、初めて上京して
5. 上京した理由と危険な大人たち②
危険な男に出会った私の頭の中は急激に東京への憧れで埋め尽くされていった。
東京そのものが都市伝説なのではないかというくらい縁遠い存在であったが、東京×イベントの仕事というのはそれまでの人生で経験したことのない圧倒的な魅力に溢れていた。
ドキドキしながら両親に「卒業後には東京でイベントの仕事をしたい」と言うと、両親は大学進学を勧めた。
さすがに無謀すぎると思ったのだろう。
私も反論できなかったし、
4. 上京した理由と危険な大人たち①
ライブハウスやりたい!と思ったものの、受験の時期まで全く上京するという選択肢は頭になかった。
もっと言うとライブハウスやりたい、イベントやりたい、というのも漠然とした夢で、絶対に叶えてやる!一旗あげてやる!というのではなかった。
音楽と関わり続ける一生、というのは本当に夢の中の夢で、上手く描けていなかった。
うちの親はとても真面目な人たちで、教師と新聞記者である。
それを見て育ったので、小さい頃
2. 私の居場所は、ライブハウス。
小学校でいじめ・仲間外れなどをふんだんに経験した私は、眠れない夜に深夜ラジオを聞きあさる子供だった。
西川貴教さんのオールナイトニッポン、SOPHIA松岡充さんのリップスパーティーなど、カセットに録音して聞きまくった。
同時に、ラジオから流れる音楽に夢中になった。
近所に新品でCDを購入できる店はなく、カメレオンクラブなど中古ショップでひたすらジャケ買いに走った。
レンタルショップもTSUTAY
1.仕事に対する原体験 -女子高生イベンターとしての日々
私の仕事に対する原体験は、高校生の頃に始めたイベンターとしての活動だと思う。
地元の山口県で、女子高生イベンターとして、月1くらいでイベントの企画をしていた。
バンドもやっていたが、企画の方が性に合っているというか、向いていた。
中学校の頃に初めて組んだバンドは、10代の私、20代のボーカル、ギター、30代のドラム、40代のベースというメンバーだった。
ベースの方はメンバーであり、ギターの先