4. 上京した理由と危険な大人たち①

ライブハウスやりたい!と思ったものの、受験の時期まで全く上京するという選択肢は頭になかった。
もっと言うとライブハウスやりたい、イベントやりたい、というのも漠然とした夢で、絶対に叶えてやる!一旗あげてやる!というのではなかった。
音楽と関わり続ける一生、というのは本当に夢の中の夢で、上手く描けていなかった。

うちの親はとても真面目な人たちで、教師と新聞記者である。
それを見て育ったので、小さい頃から仕事ってとっても真面目でカタイものだと思っていた。
親戚も病院関係や建築関係、役所系や教育関係など。
エンターテイメントに関わる人というのはあまり出会ったことがなかった。

親戚のおばさんに「音楽関係の仕事をしたい」と言ったら「学校の先生がいいんじゃない?」と言われたことがある。その答えは、うちの親戚全体の考え方を表していると思う。子供のいうことを尊重しつつ、常識の範囲内に収めて諭す感じ。実際、従姉妹たちはとても優秀に育って、教育や福祉の分野で活躍している。

両親に限って言うと、母は教師としてたくさんの子供を見ているからか自分の子供になにかを強制することはなかった。
父もフォーク全盛期に学生時代を過ごしていて、自分で曲を作ったりもしていたようなので自由だった。
背中で語ることが真面目だったのと、ほかの親戚がちゃんとした人ばかりだったので、私は勝手に「こういうことはやってはいけない」「反対される」とリミットを設けてしまっていたのだと思う。

当たり障りのない範囲で音楽の仕事をする?でも音楽ってクラシックとかじゃなくて私が好きなのはグランジ。ロック。
荒れ果てた環境ならば飛び出すこともできようが、うちは本当に素晴らしい家庭で、反抗する理由もなかった。
ロックになれない、というのが唯一の悩みという、あまりにも脳天気で幸せな環境だった。

そんな世界にある日、危険な大人が現れる。
東京で事務所をやっているという男だった。事務所に所属しているバンドのツアーで初めて山口に来て、その後も度々訪れた。やがて数ヶ月に渡ってレコーディングをするということになり、滞在することになった。

その男は、今の私だったら絶対に寄り付かないだろうという風貌をしていた。金髪で、歯がない。
だけど当時の私にとっては、憧れのイベント業界の人。事務所をやっている人。プロデューサー。東京の人。
未知の世界の話をたくさんしてくれ、夢へ導いてくれる大人に見えていた。

女子高生イベンターの私は、興味津々でその人の話を聞いた。そしてイベントの仕事をしたい、と話した。
その人は言った。「イベントやるなら東京来なきゃダメだよ!」と。

単純な女子高生は、この怪しげな風貌の男の一言で上京を決めたのである。

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