2. 私の居場所は、ライブハウス。

小学校でいじめ・仲間外れなどをふんだんに経験した私は、眠れない夜に深夜ラジオを聞きあさる子供だった。
西川貴教さんのオールナイトニッポン、SOPHIA松岡充さんのリップスパーティーなど、カセットに録音して聞きまくった。
同時に、ラジオから流れる音楽に夢中になった。

近所に新品でCDを購入できる店はなく、カメレオンクラブなど中古ショップでひたすらジャケ買いに走った。
レンタルショップもTSUTAYAとかではなく、ローカルのお店で、一枚100円とかで借りられる日に20枚ずつ借りた。
CD-Rに焼いて、ジャケットをコピーして切り取り、本物のCDみたいにケースに入れてラックに並べる。
どんどん増えていくCDとCDもどきは、多分500枚以上はあったのではないだろうか。

気付けば洋楽ばかり聴くようになっていた。
モータウンをはじめとするR&B、そしてグランジにハマり…訳分からなくてもかっこよければ最高!という勢いがあった。
あの夢中になれる感覚を呼び戻すために生きているのかもしれない、と今でも時々思う。そのくらい毎日が彩られ、輝いていた。

その後、中学校でバンドを始めると、ライブハウスに行く機会が増えた。
高校生でイベントを始めると、お世話になったライブハウスや、スタジオの人がいろんな音楽を紹介してくれた。

珍しい趣味の女子高生を、みんな嬉々として歓迎してくれた。
時代的に10〜20年上の人の趣味と重なることが多かったように思う。

「これ聴くべき!」と言われれば行かずにはいられない。
音楽に貪欲な上、メロコアやアイドルなどが流行っていたあの時代、ほかの高校生は知らないであろう音楽を体験している自分の優越感もあった。
東京はジャンルによってライブハウスが分かれていたりするけれど、地元の宇部ではオールジャンルが一箇所で聴ける。
どんな人かなんてその頃は知らなかったけれど、金子マリさんのライブには純粋に感動したし、ファンクバンドのB-FISHは何度も観に行った。

ライブハウスへは、ライブをやっていないときでも学校を早退して遊びに行った。
当時学校で「山本はビジュアル系で不良」みたいな噂が流れていたが、全身黒い服でライブハウスに入り浸っていれば致し方ないことだろう。
実際はソフトクリームを食べさせてもらいながら、シェリル・クロウのライブDVDを見てせもらったりしていた。

音楽が集まる場所、企画ができる場所。
知らない人でも音楽があれば会話が生まれた。
いろんなスターの伝説は全てライブハウスから始まっていて、なぜか売ってある海賊版を見てはドキドキしていた。

高校生の私は、いつかライブハウスをやろうと思った。大好きなイベントを生み出し続けたい。
大学進学で経営学部に進んだのは、ライブハウスをやるためだった。

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