7. アルバイト経験から考える、私にできる仕事とは

大学時代の私は、常に仕事を求めていた。
高校まではバイト禁止だったので、東京×バイトはダブルで初の体験だった。
自分で稼ぐことは本当に魅力的だった。やればやっただけお金になる時給制の虜。そしてバイトをするごとに、自分の得手不得手に気付かされるのであった。

◇大学時代のバイト一覧
・塾講師 →初めてのバイト。空気が合わずすぐに辞めた
・新宿の老舗のバーのカウンター →長く続いた
・ライブハウス兼クラブ① →シフトの組み方が乱暴すぎて3ヶ月で辞めた
・ライブハウス兼クラブ② →一番長く続いた。3年くらい
・コンサートの物販スタッフ →登録制が面倒で2回くらいしか行かなかった
・ホテルの結婚式などの音響・照明 →数ヶ月やったが時間があまり合わず辞めた
・ブックオフ →初日のオリエンテーションで辞めた
・歌舞伎町のスナック →2ヶ月と決めてその通りに辞めた

他にもあるかも知れないが、今思い出せるのはこんな感じだ。

私が続けられたバイトの特徴を分析してみると、
①制服がない
②きっちりしたマニュアルがない
③元気を要求されない
④音楽がある
⑤お酒がある(夜に人が集まるところ)
⑥自分が一番年下

今もほとんど変わっていない私の特徴である。①②③は多分一生できないと思う。というか、やりたくない。

①制服は苦しくなる
②マニュアル通りにやらなくてもゴールに行ければよくない?って思い始めたらもう無理
③接客にテンションが必要な理由がわからない。居酒屋、カフェなどは面接でだいたい落ちた。

そして、④⑤は単純に「好きな空気」なのだろう。機械でなく人が作り出す空間。

⑥は意図してないが、本当に多かった。多分、私がやりたいことはいつもほかの同級生より老けているので、周りに年上が多くなるのだと思う。そしてその理解者に囲まれている空間が心地良いのだろう。長く続いたバーやライブハウスのバイトも、入ったときからやめる時までほぼ最年少のままだった。

後から考えると決して貧しかったわけでははないのに、奨学金も借りて、バイトは3つ掛け持っていた。
バンドも常に掛け持ち。
高校に行けなかった分学校への執着も強くて、授業も比較的ちゃんと行っていた。母が教員であることから教職もとっておくか、となり、経営学部だったので簿記の特別授業も取っていた。

スケジュール帳は1時間おきに目盛りがついた、24時間書けるようになっているのを使っていた。朝9時から夕方まで授業、その後終電くらいまでバイト、夜から朝までバンド練習。ちょっと仮眠してまた授業に行く。

なかなかハードだったが、楽しかった記憶の方が強い。自分で全部決められる環境はどこまでも私を自由にしていた。

今の反省としては、もっとあの頃に感じた「これは得意、こういうのはだめ」というのを肝に銘じておくべきだったということ。
バイトと社員、社員と自営業で違うことはあれど、基本は自分。自分のやれることとやれないことはそうそう変わるものではないのである。

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