5. 上京した理由と危険な大人たち②

危険な男に出会った私の頭の中は急激に東京への憧れで埋め尽くされていった。
東京そのものが都市伝説なのではないかというくらい縁遠い存在であったが、東京×イベントの仕事というのはそれまでの人生で経験したことのない圧倒的な魅力に溢れていた。

ドキドキしながら両親に「卒業後には東京でイベントの仕事をしたい」と言うと、両親は大学進学を勧めた。
さすがに無謀すぎると思ったのだろう。
私も反論できなかったし、それは結果的にとても良い判断だった。

国立大学に落ちて私立に行くことになり、またしても両親には負担をかけたが、大学では好きな授業がとれて、全ての青春を謳歌したような日々が送れた。勉強は好きだけど学校という空間が苦手だったんだなと改めて気付いた。

大学の音楽サークルでバンドを組み、サークル内で企画を続けた。
ライブハウスでも4年間働いた。

危険な男に導かれて東京に来たのだが、大学生活に没頭するに連れて私はあまり関わらなくなった。

だけどその男は確かに東京にいた。私と同じタイミングで上京した地元のミュージシャンたちは彼と行動を共にしていた。
私もとても仲が良い人ばかりで、特に同じ年の女の子がいたので、いつもどこかで気になってはいた。

そして結局、一度も彼女たちが東京で演奏するのを聴くことはなかった。

その男が事務所と言っていたアパートは、所属バンドのメンバーに借りさせている部屋だった。
狭い部屋に、ミュージシャンやスタッフらしい人が5人くらいで住んでいた。
清掃会社と提携?して、ミュージシャンを送り込んでパチンコ屋の清掃をさせたりしていた。

一度だけその部屋に行った。清掃を手伝ったこともある。
その度になんでこんなことをしているんだろう?と疑問に思った。

口では大きなことを言う。俺は全て知っているのだと、俺と一緒にやろうぜ、と。

明らかにおかしいー。これはイベントをやるやらない以前の問題だ。大学生の私にも強い違和感が残った。私は怖くなった。そして離れた。

私は離れることができた。大学やバイトが、違う世界への扉が目の前にたくさんあったから。

だけど彼女たちは違った。私は全くそこまで頭がまわっていなくて、気付いたら全てが風化するようになくなっていた。

あるとき、一番仲の良かった女の子から、四国に行くことになった、と連絡があった。
その男と一緒に、四国のライブハウスを手伝うことになったということだった。

更に数ヶ月後、実家に戻ったと連絡があった。二度と東京には行きたくない、と言っていた。

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