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螺旋


 蝶が羽ばたいている。

 花の蜜をたくさん吸った美しい蝶が、ひらひらと羽をはばたかせながら庭園の中を舞っている。優雅に舞う蝶を、私はぼんやりと眺めている。

 初夏のマリーゴールドの美しい黄色い花と、ミヤマカラスアゲハの光沢のある藍色の羽が綺麗に対比され、空間を彩っている。思わず見とれてしまうような神秘的な光景だった。

 私は、延々と蝶が舞う光景を眺めている。

 人は、命を紡いでいく。
 愛し愛され、守り守られ、人は生きていく。
 でも、一向に分からない。
 私はどこへ向かっていくのだろう。
 生命の有機的な繋がりの中で、私はその一部を構成しているだけ。
 私はどうして、こんなに悩んでいるのだろう。

 蝶は舞い続けている。
 蜜の匂いを嗅ぎ分け、悠々自適に空を舞っている。

 不思議な気分に私は陥っている。
 私は一体、何をしているのだろう。

 漠然とした不安が、どうしようもない荒波となって押し寄せてくる。
 小さな不安の種が、突然巨大な渦のようになって私を飲み込んでいく。
 蝶の羽が羽ばたいて生まれた小さな風が、みるみるうちに大きな気流となり、竜巻となって私を飲み込む。人の絶望は、そういった光景に似ている。

 生き物には、『環世界』というものが存在している。
 生き物そのものに固有の時間の流れや知覚世界が存在しているのだ。

 岩を岩として、太陽を太陽として認識しているのは人だけであるし、五感全てでこの世界を認識しているのも人だけなのかもしれない。

 色のない世界に生きている生物もいれば、音のない世界に生きている生物もいる。
 言葉を話さない生物は、物をものそのものとして認識することが出来ない。
 太陽は、太陽ではなく暖かな何かであるし、岩は、岩ではなくそこに転がっている大きな何かでしかない。

 この世に絶対的な何かというものはないのだろうし、私は私が信じた道を進めばいい。全ては私の自由だ。なのに、何かを手に入れた瞬間に、私が手に入れたものは私の手のひらの中で風化していく。どうしても、手に入れた瞬間に「これではなかった」という感覚に私は苛まれる。

 人が手に入れることが出来る選択肢は砂のようなものだ。
 掴んだ瞬間から、さらさらと風化して無くなってしまう。
 そして気づくのだ。私が欲しかったのはこれではなかったのだと。

 一つの歯車が空回りし始めると、それに付随して全ての物事が狂っていく。ねじねじと、一つの不健康な考えが私の思考という歯車全体を壊していく。片端から、粉々に、大きな音を立てて、破壊していく。

 この世界について深く思考すればするほど、私は変な渦のようなものに巻き込まれていく。深く考えれば考えるほど、私達は現実世界から離れていく。

あらゆる物事が、この世界では渦巻いている。
その渦に絡めとられた私達は、抵抗虚しく溺れていくしかない。

 ただ、一切は過ぎていく。
 太宰治も『人間失格』の中でそう言っている。

 どれだけ苦しんでいても、どれだけ楽しく過ごしていても
 ただ一切は過ぎていく。

 私はぼんやりと、舞っている蝶を眺める。
 蝶はひらひらと、優雅に花の周りを舞っている。

 私は蝶を妬んだ。
 私も優雅に、舞ってみたいものだ。

 私は同じところでぐるぐると悩み続けているだけだ。
 私は庭へ出ていき、その蝶を握りつぶした。

 この蝶が蚊であったのなら、私は罪悪感など、感じ得なかったのであろうか。
 私はまた、ぐるぐると考え始める。



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