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最期に伝えたいこと

――何が起きてもおかしくない人生、明日が命日になる可能性はゼロではありません。このnoteの記事が、僕のダイイングメッセージになるかもしれません。つまり、僕らが今この瞬間に伝えるもの全部、ダイイングメッセージに成り得るわけです。


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「最期に伝えたいこと」というテーマで話していこうと思います。


📚Message

5月21日(日)に開催される文学フリマ東京36に、僕は出品者として参加します。最新作『夜明けのうた』といううた集を販売する予定です。

詩のような、歌詞のような、うた。中学時代から400以上の作品を綴ってきた僕が、20作品を厳選して1冊の本に仕上げました。1日の終わりに1作品をじっくり味わう読み方がおすすめです。眠る前のあなたに小さな革命を起こしたい。ステキな夜明けを迎えてほしい。そんな願いが込められています。

Amazonで購入できますが、文学フリマ価格で少しお安くご案内します。是非、【N-38】のブースにお越しください!


文学フリマまで少し時間があるので、うた集に収録してる作品たちを毎日紹介していこうかなと思います。そのうたにまつわるエピソードを物語っていきますね。

今回取り上げるのは、「Message」という作品です。

僕は去年、『Message』という小説を出版したんですが、このうたはその物語のテーマソング。手紙を書くように綴った詞に、シンプルなメロディーを乗せた家族のうたです。

このうたをもとに、僕は「伝える」に関して語っていこうと思います。



📚ダイイングメッセージを捉え直す

小説『Message』は成人の日を舞台にした物語。「110」というダイイングメッセージの謎を解き明かしていきます。僕の20年分のメッセージの詰まった集大成のような作品です。

この物語どこから思いついたかというと、ダイイングメッセージに対してある疑問を持ったことがきっかけでした。

ダイイングメッセージって犯人の名前を書く文化が定着しているけど、どうして犯人の名前を書くんだろう?

そんな風に自問したんです。


確かに犯人のことが憎いのは分かります。そのせいで自分の命を閉じることになるのだから、気持ちは十分に理解できます。ただ、それが人生最後の瞬間に犯人の名前を遺そうという思考に至るのが不思議だと思ったんです。

自分の死を悟ったから遺そうとするわけですが、自分が死んでしまったら犯人が捕まろうが捕まらなかろうが関係ないじゃないですか。犯人が捕まったところで蘇るわけじゃないし。

被害者にとって犯人の名前を遺すメリットってなくね?と思ってしまったんです。

だったら、犯人の名前なんかよりも伝えるべきことがあるはずだから、それを遺した方がいいじゃん。ダイイングメッセージとは、本当に伝えたいことを伝える生者への伝言じゃん、と捉え直すことができたんです。

ですから、小説『Message』では、犯人の名前ではなく、本当に伝えたいことを伝えるダイイングメッセージが登場します。つまり、さっき触れた「110」というダイイングメッセージは犯人の名前を表しているわけじゃないんですよね。

「110」は、亡くなった青年が本当に伝えたかったこと。じゃあ、それは何を表しているのか、是非、『Message』を手に取って、彼からのメッセージを受け取ってみてください。

文学フリマ東京36でも販売しますので、興味を持たれた方は【N-38】のブースにお越しください!



📚最期に伝えたいこと

最近の話をしたいと思います。

先日、とある市場にいってきたんです。有賀十市という場所。運営者の方から誘われて、お伺いすることにしました。小さなフリーマーケットだったんですが、ありがたい出逢いがたくさんありました。

なかでも、元新聞社の方と書道家の方との出逢いがステキでした。古民家の縁側に座ってずっとしゃべっていたんです。書道家の方の話がとにかく興味深くて、ずっと聴き入っていました。戦争を体験された方でもあり、そのときの凄惨な話にも心を動かされたし、その話を生の声で聴けることに尊いものを抱えました。

とっても意気投合しちゃって、市場の終わるまでずっと一緒にいたし、今度3人でお食事会をしましょうと謎の約束も生まれました。

僕は足がなかったんですが、書道家の方の息子さんが迎えにきてくれるとのことで、ちゃっかり乗せてもらい僕の部屋の近くまで送ってもらいました。

やっぱり、僕はステキな出逢いに恵まれてるし、周りの人に生かされてるなあと再認識した次第です。



話を戻しますね。

帰りの車のなかで、書道家の方がおっしゃっていたことが僕の胸に響きました。いろんな経験をされてきて、いろんな感情を抱いてきて、今、何を思うか。

いろんな人に感謝をしたい。

そんな風に仰ったんです。


書道家の方は普段から戦争の体験を伝えにまわったり、自分の作品を通しての物語を伝えているらしいんですよね。きっとそこではいつも、あらゆるものに対する感謝の言葉で結んでいると思います。

言葉選ばずいうと、人生100年とはいえ、人生の終わりを気にしているんだと思います。つまり、使える言葉、伝える機会が限られているということ。制限されるからこそ、人は本当に伝えたい言葉を伝えようとするんだと思います。

死に向かうさなか、飾りのない言葉の花を遺すこと。きっとそれが本来のダイイングメッセージの姿だと確信しました。

僕からしたら死なんて遠い未来の話かもしれませんが、何が起きてもおかしくない人生、明日が命日になる可能性はゼロではありません。このnoteの記事が、僕のダイイングメッセージになるかもしれません。

つまり、僕らが今この瞬間に伝えるもの全部、ダイイングメッセージに成り得るわけです。そう考えると、何を伝えようか、誰に伝えようか、意識が変わってくるのではないでしょうか。

この先、僕はできる限り本当に伝えたいことを伝えにいこうと思います。いつ命が閉じても、本当に伝えたいことを伝えるダイイングメッセージを遺せるように。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。



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