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音楽家の音で知る「共有」

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


季節感がめちゃくちゃになってきているのか、この時期での開花はまずないと思われる花が、庭に咲いてしまっています。

もう秋が深まっていく季節なのに、まだ半袖で過ごせる気候であることに、地球は一体どこに向かって舵をきるのだろうかと、考えてしまいます。


今朝、Twitterの方で知ったことですが、アイルランドの音楽家であるパディ・モローニさんがご逝去されました。

このお名前を聞いて、ピンとくる方もいらっしゃるかと思います。

アイルランドのアーティスト「ザ・チーフタンズ」の創設者であり、リーダーを務めた方なのです。

(2017年度、ザ・チーフタンズ来日公演のハイライト動画です↓)


ただ、私がこの方を知ったのは、このメジャーなルートではなかったのです。

それは、去年のあるコンサートをきっかけに、一人の奏者さんとして、知りました。



🎶

昨年のこと。


その時、世間はクリスマスを目前に控えていましたが、新型コロナウイルスによる行動規制がかけられ、様々なイベント・コンサートは中止や延期、またはオンラインでの開催を余儀なくされていました。

ですが、その時の私には、全くもって関係なかったですし、むしろクリスマスムードをどう乗り越えるかを、考えていたのです。


実生活における、全ての人間関係を断って、初めてのクリスマスでした。

それまでは、様々な方面の友人たちに、クリスマスカードを送っていたり、連絡を取ったり、クリスマスパーティーをして楽しんでいたのですが、年を重ねるに連れて、その企画・調整が全て自分に乗っかってきているような感覚になり、だんだん苦しくなっていました。

「禧螺から声がかかったら行く。みんなで会いたいけど、誘うとか企画するのは、得意じゃないし…」
「禧螺に全部任せていれば安心だから…」

私も、一人で抱え込まずに友人に話すべきでしたが、その言葉を「頼られているんだ」と信じて疑わず、どんなに多忙を極めても、各友人たちのスケジュール調整をし、そうすることで、自分は必要とされていると、本気で思っていました。

後出し感満載で、当時の友人たちには、本当に申し訳ないこと言ってしまっています。

それでも、「会いたいね」とは言いながら、急なドタキャンが続いたり、「そんなこと忘れてた」とか言われた時は、軽い気持ちだったのかもしれないですが、悲しかったです。

今までのこういった関係に別れを告げて、noteにたどりついたのは、4月のことでした。


時は12月。

この頃からやっと、noteで知り合ったクリエイターさんに画面越しで会ったり、そのクリエイターさんからの情報で、オンラインイベントに参加したりと、人との関わりが、感覚として戻って来ていました。

そして、あるクリエイターさんから「オンライン・ケルティック・クリスマス」の情報を教えていただきました。

本来、このコンサートは、ケルト文化に関係するアーティストが来日し、演奏されるクリスマスコンサートなのですが、コロナの影響で日本での開催は断念され、代わりにオンライン開催に切り替わったとのことでした。

友人とコンサートに行った経験がある私にとって、「コンサート」の響き、その単語が持つ意味が、寂しい気持ちがするものでもありました。

一方で、「ケルト」という響きを聴くだけで、癒しの感覚を覚える私なので、「一人でも、楽しめたらいいな」と思い、コンサートを観ることにしました。



🎶

その奏者、パディ・モローニさんはこのコンサートの最初を飾る演奏を披露してくださいました。

曲は「Garden of Daisies」という、ダンスで使われる曲です↓
(パディさんご本人が演奏されているものではないですが、この演奏の感じが近いかなという音を、掲載させていただきます)


かなりご高齢のようにお見受けしましたが、その朗らかな笑顔は、コンサートに参加して、ドキドキして見ている私を、温かく迎え入れてくださったように感じました。

コンサートのお話をされている時や、日本のファンに向けての温かいお言葉をくださっている時は、お優しい雰囲気をまとっておられたのですが、演奏が始まると、音が飛び跳ねて楽しんでいるような感覚になったのです。

音は空気を振動して伝わるものですが、空気も一緒に踊っているような、そんな空気感が漂います。

その音にふれてか、私も身体を揺らして踊りたくなってしまい、一緒に乗って楽しみました。


感想が、スピリチュアル系に偏っているかもしれませんが、現地時間に合わせた中継からだったからか、一度観て、一緒に踊ったことが、頭から離れないのです。

音はスピーカーを通して伝わってくるのですが、それ以外の空気の振動、音楽を聴いていて鳥肌が立ってきたり、一瞬で大自然の森に帰って来たかのような、そんな気分になりました。

アイルランドでは「伝説的なアーティスト」として紹介されていますが、初めてパディさんを見た私からすると、人間の世界では「優しいおじいさん」なのですが、楽器を手にすると、大自然に住む「音楽の仙人」のように見えました。

まるで、パディさんが演奏をはじめると、木、花、風、土の精霊たちが躍り出てくるような、そんな光景が目に浮かんだのです。


私は、一人でしか楽しめなくなったことに、罪悪感をずっと持っていました。

今までの友人一人ひとりに対して、関係性を持続させることができなかった全てを、自分の責任だと思い、何かを楽しめても、「誰かと共有なんてしちゃいけないし、したら面倒くさがられる」と、思っていたのです。

ですが、パディさんの演奏を聴いて、一緒に曲に乗っていると、「誰かとこういう楽しい空間・時間を共有出来るって素敵なことだなぁ」と、改めて実感できたのです。

そう実感出来たにしても、その相手がいません。

その相手が欲しいことを諦めて、コンサートの報告をnoteに書きました。


すると、このコンサートを教えてくださったクリエイターさんとは、別のクリエイターさんから

「いいですね~!今度もあったら、是非教えて欲しいです!」

という感想をいただいたのです。

確かに、こうしたシェアや誘いを「面倒だ」という人もいれば、「是非教えて欲しい」と言ってくださる人も居て、しかも、自分の目の前に現れてくれるとは、思いませんでした。

共有したいと思ってくれる人を、自分から働きかけるだけではなく、向こうからもきてくれることがあって、「自分自身の楽しみに夢中になって、人に広めることも、一つの共有の手だよ?」と、教えてもらったような気持ちになりました。


パディさんの演奏を聴くのは、これが最初で最後になってしまいました。

ただ演奏を聴くために聴いていたのではなく、音楽を通して、私の感覚に、もう一度「人と何かを共有する楽しさ」を体感させてくれるために、ケルトの精神が、私をパディさんに導いてくれたのかもしれないなと、思います。

今年も、何らかの形で、オンライン・ケルティック・クリスマスの情報が解禁されたら、ここでお知らせさせていただきます。

パディさんが演奏されたものではありませんが、参考までに、コンサートのフィナーレが1日目、2日目と動画でありますので、よろしければご覧ください↓


じんわりと、誰かと「共有」を実感出来る温かなクリスマスが、待ち遠しいです。


パディさん、あなたのおかげで、私は誰かと共有出来ることが、また楽しいと思えるようになりました。

貴重な演奏を聴かせていただき、本当にありがとうございました。

今までお疲れさまでした。

ご冥福をお祈りいたします。



🎶

トップ画像は A様 からお借りしました!

ありがとうございました!


みなさんからのスキに、いつも元気をいただいています。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさん、いい一日をお過ごしください。



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