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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.10

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


近頃、いろいろと宝くじにあたっているような、嬉しい出来事に出会うことが出来ています。

以前は「いいことばかりが続くとあとが怖い」と、受け取りを拒否していた部分があったのですが「少しずつだけど、ご褒美がいただけているのかな」と思い、受け取る練習もやっているのです。

気持ちよくいただけたほうが、くださる方にも気持ちよさが残るのではないかと思っています。


深い部分にまで話が進んできました、

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。

先週は「夢表明記事」のために飛んでしまいましたが、本日も興味深い内容を学べそうです。

「今更こんなの書いても、みんなそれぞれに調べてるだろうし、納得してるだろうし」と思うことがあったのですが、この本を広めたいわけではなく、この本を通して、私の思考や感性を誰かの何かの選択肢になればいいことを、見失いかけていました。

恐るべし、手段の目的化です。

ですが、そうした状態も脱却できたので、今日もさくさく行きましょう。


それでは、参ります。


読み進めていく書籍は、

イルセ・サン
「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」 
2016年,株式会社ディスカヴァー・トゥウェンティーワン

です。


「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。


また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。

ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。

「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。



💟

【感想:第3章 「鈍感な人たち」とうまく付き合うには (2) 鈍感な世界に生きる敏感な人たち】


誰かと会話をする時、純粋にただ「楽しい」と思える方が少ない。

むしろ「反応の正解探し」の方に過度に集中してしまう。

相手が「楽しい」「嬉しい」と思ってくれたことが正解で、逆に「考えさせられる」「黙らせてしまう」のは不正解。

不正解というよりは、自分の会話下手が露呈されてしまうような気持ちになってきて、羞恥心にさえ襲われる。


だから口を開かない。

考えさせてはダメだ、黙らせてはダメだ、それをさせてしまう人間はコミュニケーションができないという烙印を押されてしまう。

当たり障りのない会話、反応を、どういったものが「当たり障りのない」なのかが分からない。

口を開けば、正解を期待されているように感じて、怖いと思ってしまう。

だから私は話さない。

この世界で「話す」ことは、正解を探されるような感覚で怖い。

そうして、会話から遠ざかっていった。


HSPであってもなくても、相手の発言を自分事のように捉えて、追体験したり、共感してしまうがゆえに、自分のエネルギーを使い果たしてしまう人がいることを知った。

そんな気質の人がいることを悪用して、自分のストレスのはけ口にしている人がいることも知った。


だからこそ、表面的な、当たり障りのない会話が、なぜ必要なのかが分かった。

「表面上」でも、おそらく深く感じ取れることができる。

自分に寄ってくる人間のうち、そんな話の中で、誰に耳を傾け、時間を注ぎ、会話という「つながり」を構築していけばいいのかを。

誰彼に、自分の言葉を安々と渡さなくてもいい。

それを必要としてくれる人に、愛してくれる人に、渡すことが大切なのだから。



💟

【学んだこと】


個人的な所感ですが「HSPと会話」は永遠に課題だと思っています。

たまたま「HSP気質」を自覚されている方の中で、会話が苦手だという方が多い傾向があるから、話題になりやすいのであって、HSPでなくても悩まれている方は多いのではないでしょうか。


HSP間でも、言葉のやりとりに関して、私を含めて試行錯誤されている方は多いです。

そこでサン博士は、次のことを意識するよう言ってくださっています。

7. 「対話」を成立させるには、互いに「反応し合う」ことを意識する
8. 時と場合に応じて「深い会話」と「表面的な会話」を使い分ける

当たり前かもしれないですが、自分自身との内なる会話以外は、相手がいます。

対話は「お互いが対となって話すこと」が大前提ですので、一方が話すだけ話して終わるものは、対話とは言えません。


サン博士が仰る「反応し合う」ですが、具体的にどういうふうにすることなのかを、気になられている方がいるでしょう。

次の5つの状態を、自分も相手も「反応し合う」または、そうした姿勢を意識することで、対話という状態が成り立つようです。

①話を受け止める
話をしている人
「あなたは私のことをどう思う?」
話を聞いている人
「私があなたをどう思っているか知りたい?」
 
②話に共感する
話をしている人
「あなたが私だったら、どんな風に思う?」
話を聞いている人
「私があなただったら……に違いないわ」

③話による周囲への影響を知る
話をしている人
「私がそう言ったとき、あなたは何を考え、どう感じた?」
話を聞いている人
「あなたの言ったことが、私にどう影響するか知りたい?」

④話そのものを広げる
話をしている人
「私が話すから、途中で質問してくれたら嬉しいな」
話を聞いている人
「あなたが話している途中、質問して欲しい?それとも遮られずに話を続けたい?」

⑤話をちゃんと聞いていることを示す
話をしている人
「私が今何て言ったか、言ってみて!」
話を聞いている人
「あなたが言ったことを私が言うわ。正しく聞けたか、確認しましょう。」
 

「いや、当たり前ですが?!」と思っていることこそが要注意で、意外とできていない・できないことが多いそうです。

確かに、人の話を聞くのも、聞く側の体力や気力、それに相手とどれくらい親しいのか、関係が深いかにもよって、疲れる度合いが違います。

自分も話を聞いてもらえていると思える気持ちと、相手の話を聞く際の体力気力の出力バランスが釣り合わないと、難しい問題です。


また「表面的な会話」と「深い会話」を使い分けることによって、疲れ方をある程度コントロールできるとも言われていました。

「深い会話」をする時には
「その時に、誰がどうしてどうなったのか、あなたはどう感じたのか」
等といった具体的な話にする。

「表面的な会話」をする時には
「誰にでもそういうことあるよね」「一般的には○○だよね」
等といった話を一般化する

これを使い分けることによって、自分に向けられる話の内容全てを、全力で意識して集中して聞いたことによる情報のオーバーキャパシティや、長時間興味のないことに対して、興味を持っている振りをすることを防げます。


話している方が人間なのはもちろんですが、話を聞く側もまた人間です。

思考があり、感情があり、それに伴う刺激がありますし、その刺激に大きく影響する人もいれば、小さな影響しかない人もいます。

そうした部分を、自分が心地良く過ごせるようなコントロールができるのは、自分しかいません。

そうした意味でも「表面的な会話」と毛嫌いせずに、向き合って行く・試してみる選択肢は、大いにアリだと考えています。



💟

【自分でどのようにいかすか】


私も「表面的な会話」は苦手な方で、これをテーマにするだけで、10記事くらいは自分のエピソードを交えてお伝えすることができそうだなぁと思いました。


自分の心身の状態を守るために「表面的な会話」と「深い会話」を使い分ける文に置いては、思い付かなかった発想です。

こう提案されたときに、じっくり考えてみると、確かに、不要だったり理不尽な疲れ方をしてしまうことから、回避できると考えられるのです。


特に表面的な会話を、意味もなく振られた時・たまたま振られた時に、それで疲れて何も出来なくなってしまうのは、私にとっての大きな問題です。

極端かもしれないですが、それで疲れたことによって、何もできなくなっても、相手が責任を取ってくれるわけでもなく、時間を返してくれるわけでもありません。

ならば、その場ではできるだけ、心身の疲労を抑えるように話を一般化する方向に持って行って、

本当に、自分の言葉や対話を待っていてくれる人に、深い会話・やり取りを展開したほうが、相手のためになりますし、ひいては自分自身を大切に扱えている状態になります。

表面的な話の過程で、どの関係が自分にとって「しんどい」と感じたり、この人といると話が深まって「楽しい」と感じたりして意識することで

「自分は何を大切にして生きていきたいか」という思考や感性が深まっていくのではないかとも、思えました。


自分の生き方を洗練させるためにも「表面的な会話」を使いこなしたいです。

その会話が導く先は「自分が心地良いとは思わないもの」、ひいては

今の自分には不要なものだから、手放してもいいもの

だと教えてくれるものなのでしょう。


自分の言葉を、今、必要としてくれている人に、愛してくれている人に、楽しみを感じてくれている人に、届けたいです。



💟

みなさんからのスキと、ここでお会いできるのが嬉しいです。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、よき休日を。



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