「普通」をめざしていたスケジュール帳
みなさん、こんにちは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
まだ6月なのに、既に猛暑日、熱中症という単語が飛び交っていますね。
この状態で、7月・8月はどういった状態になってしまうのだろうと、結構心配にも感じます。
みなさんも、どうかご無理なさらずにです。
本日は、自分の中の振り返りで気が付いたことなのですが、このnote生活になってから、よく書くようにようになりました。
中でも、特に変わったのは、スケジュール帳です。
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みなさんは、スケジュール帳に何を書き込みますか?
ご自身の予定だったり、誰かの誕生日だったり、お仕事や学習で大事な日だったり、ご友人と集まる日だったり……
各々の個性が出そうな部分ですよね。
私も、毎年スケジュール帳を持っています。
でも、書くことがたくさん増えたのは、noteを始めた調度2年前からです。
それまでは、スケジュール帳という名の、3行日記でした。
その3行日記も、実生活の人間関係が終わると同時に、終わりました。
今から考えると、そもそもスケジュール帳を持つことも、3行日記を書くことも、誰かの誕生日を書いておくことも、すべて「普通」をしたかったのだと思います。
性格や気質では、自分の感覚が周囲とずれているのは、十分わかっている。
だからせめて、書くことだけは、紙の上だけでは、普通でいたいと思ったのかもしれません。
毎年、スケジュール帳が売り出される時に、お店のディスプレイにある、かわいい手帳の書き方。
あれを見るたびに、自分もカラフルに手帳を書きたいと思っては、結局そんなかわいいことも書けないで、終わってしまう自分に「ああ、やっぱりな」と見切りをつけていました。
今から考えると、自分がいかに世の定義する「普通」に固執していたのかが見えます。
でも、あの頃は、そんな普通が欲しかった。
少しずつでもいいから、手に入れたいと思っていました。
普通になれば、少しは誰かに認めてもらえるから。
でも不思議なことに、普通になりたいと思えば思う程、書けないのです。
物理的に文章や単語は書けるのですが、字を見ると、なんだか、私ではない誰か知らない人の字に見えてしまうのです。
私が書いているはずなのに、私じゃない別の誰かが、予定を書き込んでいる。
それを見て、私は私のことを書けないと思ってしまうことに、きっとたましいが、悲鳴をあげていたのだと思います。
そんな状態から、自分を引き離した。
今では、引き離せてよかったと言えます。
今、私のスケジュール帳の中に書いていることは、
●自分のプライベートの予定
●カウンセリングの日
●noteで書きたい記事のネタ
●創作でつくりたいもののネタ
●note有料化の葛藤や構想
●創作の企画参加者様(クリエイター様)の名前
●Zoom越しでクリエイター様にお会いする予定日
●通信大学の中間・期末テストの日程
●noteでの学びになった言葉
●旅立った蝶たちの名前
●植物の育て方
●液タブの使い方
●個人サイトの作り方
といったところです。
もはや、私の頭の中のなんでも帳を、具現化したものかもしれません。
同じ歳の子たちは、多分、子どもさん関連のスケジュールが入っているだろうところに、私のスケジュール帳には、蝶が好きなお花の発売日を書いてます。
だって、私の夢の実現には大事な日ですから。
動物や虫が来てくれて、自然豊かな家にして、そこでHSPセレクトハウスをしたい夢。
世の中が定義する「普通」でないことに、嘆いたこともありましたが、その嘆きが、今の私の活動に生かされているならば、過去の私も本望だと思います。
夢を抱いて生きていきたい、生きている間、書くことは私の夢。
そんな変化を、スケジュール帳で見せてくれているのかもしれません。
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トップ画像は るり˙ᴥ˙様 からお借りしました!
ありがとうございました!
みなさんからのスキは、私のこころに刻まれていきます。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさんが、よき本日を過ごされますように。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。