いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.9
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
昨年度はたくさん創作ができて嬉しかったですが、今年度は、もっといろいろなことができるように、スキルアップを目指していきたいと思います。
生きている間、やりたいと思っていることはやり尽くしたいです。
ようやく半分の地点まで到達しました、
「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」
の日です。
少し前「HSP診断」が一瞬流行ったのですが、「診断が出たからHSPなんだ」とか「診断にあてはまらなかったから、HSPじゃない相手になんの苦労が分かる」とか、SNS上でそうしたやり取りも見られました。
そんなやりとりを望んで「HSP」が広がったわけではないと思います。
しかし、現にそうしたやり取りがいまだに続いているのが、悲しいことです。
私は私自身を信じて、この記事に来てくださる画面の向こうのあなたを信じて、今日も更新します。
それでは、参ります。
読み進めていく書籍は、
です。
「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。
また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。
ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。
「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓
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はじめに
最初にお断りしておきます。
この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、
レビューではありません。
この連載の構成は、
という
個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに
「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」
という「表現」を、共有させていただく記事です。
ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、
何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」
と感じられた時は、
ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。
ですので、
という方は、申し訳ないですが、
・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト
・出版社のホームページ
で、お探しください。
以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
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【感想:第3章 「鈍感な人たち」とうまく付き合うには (1) 鈍感な世界に生きる敏感な人たち】
「人よりも、敏感に感じ取ってしまうことがある」と言われる方は、迷惑にならないだろうか。
自分が「自称HSPです」と大きく公言するまでに、とても葛藤した部分。
実生活では、HSPという言葉を知らない人がほとんどだ。
中には知っている人もいるだろうけれど「敏感すぎて生きづらい人」という「敏感=生きづらい」に結びつけて解釈されている方もいる。
私はもっと考えるべきだったかもしれない。
あの時、最初に自分が「HSPであること」を言う相手を。
今、HSPと言って残った相手は、家族親族以外では一人もいない。
その事実を知って実感した時、とても悲しかった。
そう、本当は「敏感なんです」と言った方がいいのかな、なんて、考えてしまう時点で、個々人がそうして考え悩まねばならない環境が、おかしいのではないだろうかと思ってしまう。
理想は「言わなくてもいい安心感」が欲しい。
この人はこういったことに敏感に反応するんだな、苦手があるんだなと思うくらいで、ただ自然に時間が流れていくように、配置換えとか役割交代があればいい。
「○○さんは苦手だって言っているから」
「××さんは、このことに関して過敏に反応するから」
個人の気質に焦点を当てるのではなく、ただ限られた人とものの中で、どのように進めれば、物事をより良く回せるかを考える方が、より多くの人に優しいとさえ感じる。
就職活動をしたことはないけれど、あれで自己診断テストとか、性格テストを受けて、「あなたには敏感な傾向がある」と一方的に言われた学生たちは、どんな気持ちになるだろうかと思う。
しかも、ちらっと話題になるだけで論争になりかねない状況の場面に放り出されて、それでいて「あとは自己でどうにかして向き合え」と、伝えるだけ伝えて、ぶつ切りにされていないだろうか。
それでも平気な人は平気だけど、平気で無い人はもちろんいる。
それは忘れてはいけないと思う。
HSPを公言すること。
それは、この世界に対して、私が私として向き合えると感じた姿勢。
でもその姿勢が、万人に受け入れられるとは思っていない。
だからこそ、この姿勢に共感してくれる、理解してくれる、支えてくれる人を、仲間を探してる。
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【学んだこと】
最近、またHSPが表に出て来だしたかなぁという印象を持っていまるのですが、これを心安らかに見ていられるかと聞かれると、少々不安です。
ただ、不安を持ったままで思考・感情停止の状態が一番危険だと思っていますので、私は私のまま、そして待ってくれている人にむけて、引き続き思考し、感じてみたいと思います。
「鈍感な人たち」との付き合いについて描かれていますが、私は括弧内を、「HSPさんを含む自分以外の人たち」に置き換えて読みました。
同じHSPであっても、感度や状態は一人ひとりに違いますので、そうした部分はHSP同士でも考え合ったり、場合によっては、配慮し合うことが大事なのではないかと思います。
サン博士はこの章で、うまく付き合う方法を、いくつか提示してくださっています。
また、この5つに関連して、よく言われていたことが
・自分が「何を必要としているのか」「何が得意なのか」「何が苦手なのか」を相手に伝えること
・会話や面会の後には十分な休息をとること
・断ったり、相手との境界線をしっかりはること
です。
これらの中には少し練習がいることや、人に示すには勇気がいることも含まれています。
ただし「人に必要とされている・要求されているからする、しなくてはいけない」と思われる分で、付き合う方法を練習するのは、私個人はおすすめできません。
その時に欲しいと言ったのは「他人」であって、自分自身ではないからです。
それで納得できる方ならいいですが、そこで少しでも引っかかりを感じたら、その引っかかりを紐解く方に、現状から一歩進むヒントが隠されているのではないでしょうか。
誰かに「自分はHSPだ」と伝えることは、おそらく今の社会では、まだ全体の問題として考えてもらえる場面は少ないでしょう。
それでも、それを声にだしていうことで、今まで抱えてきた苦しさや悲しみを手放すことができるのも事実です。
現段階での学問的な側面では、どうしても対処できない・説明できない部分があるから、こうした議論になりやすいのだと思います。
感情や感覚は学問では測れません。
だからこそ、一人ひとりのHSPの感覚が必要ですし、生かされて欲しいと思うのです。
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【自分でどのようにいかすか】
私はSNSにおいて、HSPを公言するという立場をとっています。
公言していたら、同じように「自分もそうした傾向がある」と言える人や、「私もそう言いたい!」という人を見つけやすいですし、その部分からでも「似た感覚を持っている人かもしれない」と思えるからです。
また公言することで、自分をより安心・安全な環境・人の集まりへと、自分を置きたいからです。
近頃、HSPの傾向を持つ人にとって、重要なことは、
自分が置かれる環境と周囲の人である
と、よく耳にします。
私自身の経験に照らして考えてみると、これはそのとおりだと思います。
ただし、自分の中で、何を最重要事項にするかによっては「そのとおり」とは言えないでしょう。
例えば、ご家族を養っておられる場合であれば、どうしてもお金が必要になる場面が多いでしょうし、自分の都合だけでは動けないことが多いのではないでしょうか。
あるいは、お仕事に使命を感じておられる人であれば、人間や環境に恵まれなくとも、仕事に恵まれていればそれでいいという人もいらっしゃるでしょう。
中には、HSP傾向を自覚していても、環境や人のことを気にする時もあるけど、上手い具合に生活できてるから、そんな気にならないし人に言う必要もない、という人もいると思います。
それならそれでいいのですし、そうした違いはあって欲しいし容認して欲しいです。
ただ、
「HSPって公言して、人に言ったところでどうにもならないと思うし、言われた人も迷惑だと思ってるよ。だいたい、それって人に言うようなこと?」
とか
「HSPの批判ばかりして、ちゃんとHSPのこと分かって言っているの?自分たちも自分たちのこと上手く言えないから、ここにつっかかってるんじゃないの?」
と、自分の立場を一方的に主張して、負の感情のぶつけ合いになる場面は、見ていて、生きることそのものがしんどくなります。
それを避けるためにも、私はHSPを公言しますし、自分なりの言葉で、拙いかもしれないですが、発信し続けていきたいです。
いろいろな発信者様がいらっしゃるなかで、こうして記事をご覧くださり、そのお時間をいただけることに、心から感謝申しあげます。
この発信を通して、一人でも安心・安全を助け合える仲間ができれば、嬉しく思います。
💟
みなさんからのスキと、ここでお会いできるのが嬉しいです。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よき休日を。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。