Kの昇天、あるいは

すっかり秋だ。

涼しくなると、決まって思い出す人がいる。

その人は、美術室の石膏像のような肌色をしている人だった。その人は、薄い一重瞼が鋭い刃物のような人だった。真っ黒な瞳がガラス玉のようで、まるで人形に嵌め込まれたグラスアイのように人工的な輝きを放っていた。その人の手のひらには、赤い花のような傷跡があった。

その人は、私が当時常駐していた拠点のプロパーさんだった。

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私はそこで、ただの協力会社の一社員だった。学生時代に就職活動を頑張っていれば、あるいは彼と対等な立場に立てていたのかもしれない。しかし、今の私にとっては、おいそれと触れることも出来ない、遠い世界の住人であった。

しかし、その人とふと目があった瞬間から、彼の存在は私の世界を一息に呑み込んでしまった。

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届かない世界に住む「その人」に、私はなりたいと思った。

それまで殆ど息をしないような生活を送っていた。それなのに、その人の存在が、私を生かしはじめた。

それから私は、すっかり痩せて、背筋も伸びた。歩き方も、話し方も、少しづつその人に近付いて行った。

物言いがはっきりした。弓道でもやっていそうなあの人の姿勢を真似て歩いた。

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ある日、協力会社の男性からこう言われた。

「soranikurageさんって、Kさんに似てますよね。」

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私は「あぁ。」と思った。

彼は、そもそも私に似ていたのだ。黒い髪も、石膏像のような肌も、声色や、話し方も。

そして、だからこそ私は、彼を好きになったのだ。

私はずっと、自分のことが嫌いだった。

それでも、どこかに自分のことを好きになりたいという思いはあった。自分の青白い顔も、目つきの悪さも、女性としては些か低すぎる声も。

そして私は、男性になりたかった。

多分トランスジェンダーという訳ではない、と思う。(自分では分からない)それが女性でも男性でも、好きな人がタイプ、というだけだ。

ただ、自分自身は男性に生まれたかった。骨ばった骨格や男性特有のシルエットに憧憬を抱いていた。小学生の頃から、赤やピンクが嫌いで、どうして女性であるというだけでそれを持たされるのかが分からなかった。自分が大好きな黒や青の色彩に囲まれているのは、いつだって男の子だった。

彼は、私が憧れていた男性そのものだったのだ。

彼は私に似ていた。私も彼に似ていた。性別は違うのに、それなのに。

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私はふと、慰みに初秋の晴れた日の青空に手のひらを翳してみた。自分の手には、過去に取った静脈瘤の手術痕しか残っていなかった。

(・・・あんなに綺麗な赤い傷跡は残っていない。)

***

彼の横顔を見るたび、私は梶井基次郎の「Kの昇天」を思い出す。

その横顔はとても端正で、いつだって青白い月の光に照らされているようだった。

彼がどんなに遠くに行ってしまったとしても、私は彼の面影を追い続ける。

その先にあるのは、あるいは自分自身の昇天かもしれない。

(・・・そういえば、彼は私と同じ月に生まれたんだっけ。)

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『ついに肉体は無感覚で終わりました。干潮は十一時五十六分と記載されています。その時刻の激浪に形骸の翻弄を委ゆだねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。』

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今でも、どうしようもなく苦しい時は、あの人の真っ白な横顔を想い出す。

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私は、このどうしようもない人生の中で、あなたに逢えて、本当によかった。

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