最近「パートナーとしてこれからも一緒に子供を育てていきます」という言質を目にすることが増えた。 なるほど確かに、親権が必ずしも母親に行かず、「元」夫婦で一緒に育てていってね、みたいな法案が成立したようなしなかったようなニュースは見た。 「親」にとってはどうなんだろうか。子供を産むことについて、少し楽になったのだろうか。 …では、「何も知らずに生まれた子供」にとっては? *** 私は保育園の頃に、はっきりかつキッパリと「結婚なんてしないし子供も産まない」と言い切ってい
昔も昔、好きな人が女性だった。 男の子みたいなまっすぐな黒髪にショートカット。 男の子みたいな、ちょっと低くてハスキーな声色。 変な子だった。 僕たちは図書室で出会った。 美術室で出会った。 驚くぐらい美しい絵の中で出会った。 ・・・どうしようもないな。 *** 僕は私になりたくて、私は僕になりたくて そんなバカみたいな話もどうでもよくて 容姿を変えても、駅前でたくさんティッシュをもらう。 花粉ひどいから、まぁよかったとか思って。 鼻かみながら、明日また「じぶん
14歳のことを思い出した。 当時の私は、家にも学校にも、居場所がなく ただ夜空を見上げて、タバコを吸っていた 明日がくるなんて悪夢だった。 *** 「君が何かを想って痛むなら いつになく優しく振る舞えそうです」 *** 他人の手首の傷や、他人が飲みすぎた薬の話、他人が出会い系で出会った男と何をしたかとか そんなことをただ受話器で聞いていた。 「そんなに死にたければ死ねばいいのに」なんて言えなくて 私はニコニコ笑って電話をとる 私だってまともに空気が吸えないのに
死のうと思っていた。 生まれて数年、青いスモックをきて、私はなんの変哲もない保育園の子供をやっていて。 周囲の全てや、無理矢理押し殺した周りから感じる殺意の明かな気配を感じながら。 何度「生まれてきたこと」を呪われただろうか? 何度「生きていること」を否定されただろうか? 「お前なんていなければ」そんな視線を何度感じて苦しんだだろうか? *** 私は生きてしまった。 腹が立って、なんでこんなに理不尽なんだと苛立って、何かを作って、何かを学んで、この歳まで生きて
「愛」という言葉。 やたらと尊大で、他者を無条件に降伏させる言葉。 そのワリに、中身なんてなんにもない、ただただ空虚な言葉。 === ワタシの上司は口癖のようによく言うのだ。 「愛が足りない」と。 ワタシは思うのだ。 「愛は一方通行では成立しない」と。 === デザインをすること。誰かに何かを本気で伝えたいと思うこと。 そして、相手を理解したいと思うこと。どれだけ時間をかけてもわかりたいと思うこと。 その二つが成立してはじめて、社会に「愛」が生まれる。
学生時代、顔面麻痺を患ったことがある。 そもそも実家が大学から遠く(片道2時間程度)、それでも最初は気合いで通学をしていたのだが、属していた専修のせいもあって、やれレポートだの授業だのバイトだの部活動だの(最後については趣味だ。必ずしも必要がない)に精を出していた私は、ついに倒れてしまったわけだ。 (第一文学部は、必ずしも暇ではない。専修にもよるだろうし、今となっては分からないが。) 真白い病院の問診室で、医者から「ギランバレー症候群ではないか」と言われた。同時に「もう
久しぶりにnoteを開いたら、タイトルに「嘔吐」とだけ書かれた下書きが残っていた。 それを書こうとした時、私はおそらく「嘔吐」について考えていたのだと思うのだが、如何せん酒に酔っていてよく覚えていない。 そういえば心療内科へ通う道すがら、「実存は本質に先立つ」ことについて調べていたような気がする。 そして、昔誰かから言われた「あなたはこのままでは何者にもなれない」という言葉についても考えていた気がする。 *** 私は高校時代、倫理の先生が好きだった。 その先生はな
King Gnuの「三文小説」を聴いた。 私は物心ついた頃から「ロック」と称される音楽が好きなもので、正直、最初は「今回はまぁ随分と「売れ線」を狙ってきたな」と思った。 「白日」が売れて、「どろん」や「飛行艇」がそこまでのヒットにならなかったことからだろう。この曲では、あの畝るようなギターもベースも鳴り響いていない。 しかし、私はそのMVから目を離せなかった。 初聴にも関わらず、その映像はその歌詞や旋律と共にすんなりと入ってきた。 そして私は、なんだか得体の知れない
悪役が好きだ。 保育園のころ、園児の劇の出し物として「西遊記」をやることになった。 私は当時から途轍もない引っ込み思案で、名前のある役になどとても立候補できなかったし、なんならそのあたりに住んでいるモブ役の村人Cとか、もっと言ってしまえば森の木の一本なんかでもいいと思っていた。 そんな状態なので、私は当然役決めの時に、得意の「存在感を消す」方法でひっそりと息を殺していた。 しかしなんの因果だろうか。 私は唐突に「羅刹女」に抜擢されてしまう。 純粋に、その年齢にして
すっかり秋だ。 涼しくなると、決まって思い出す人がいる。 その人は、美術室の石膏像のような肌色をしている人だった。その人は、薄い一重瞼が鋭い刃物のような人だった。真っ黒な瞳がガラス玉のようで、まるで人形に嵌め込まれたグラスアイのように人工的な輝きを放っていた。その人の手のひらには、赤い花のような傷跡があった。 その人は、私が当時常駐していた拠点のプロパーさんだった。 *** 私はそこで、ただの協力会社の一社員だった。学生時代に就職活動を頑張っていれば、あるいは彼と対
「左利きのエレン」という作品の主人公、朝倉光一が新聞広告賞を獲った。 この広告はとてつもないメタ構造で、漫画の主人公がその漫画の中で新聞広告を制作し、それが実際の新聞に載るという、とても複雑な様相を呈している。 そのあたりの面白さは別の記事で書くとして、この広告が賞を獲ったということは、自分にとってとてつもなくエモい出来事だった。私自身、「才能」について考えることがよくあったのだ。そしてこの漫画の主人公の「光一」は、とても普通の人間である。普通の広告代理店のデザイナーであ
私は母親が苦手である。 とても幼い頃から、私は母親を魔王とも思しき存在だと感じていた。女性というものは多かれ少なかれ「感情」を判断基準にするものだと思うが、彼女はその典型であった。気に入らないことがあれば何ヶ月でも無視をされていたし、母と全く顔を合わせないなどという事は日常茶飯事であった。そして彼女の溺愛する私の弟と扱いの差も明白であった。 対して私の父はいわゆる「女性」が嫌いな人間であった。私の名前の由来も、聡明で頭のいい人間に育って欲しいという願いの表れであったようだ