毒親と承認欲求の話

私は母親が苦手である。

とても幼い頃から、私は母親を魔王とも思しき存在だと感じていた。女性というものは多かれ少なかれ「感情」を判断基準にするものだと思うが、彼女はその典型であった。気に入らないことがあれば何ヶ月でも無視をされていたし、母と全く顔を合わせないなどという事は日常茶飯事であった。そして彼女の溺愛する私の弟と扱いの差も明白であった。

対して私の父はいわゆる「女性」が嫌いな人間であった。私の名前の由来も、聡明で頭のいい人間に育って欲しいという願いの表れであったようだし、私自身も、そのような女性になりたいと思っていた。

高校は公立高校で、それなりに進学校でもあった。ここで勉強の楽しさに目覚めた私は、大学に行きたいと思うようになった。しかし残念ながら、普段からお金がないと(私に対しては)ぼやいている母親に対して、「塾に行きたい」などとは死んでも口に出せなかった。

とはいえ幸いなことに、そこは「公立」の進学校であったため、家庭の事情が多かれ少なかれ存在する生徒は少なくなかった。塾代を学校終わりのバイトで必死に稼ぐ子、塾に行けないのでなんとかして良い成績を納めて指定校推薦を狙う子、割安な通信教育で有名国立大学に入学した子。みんな必死で頑張っていた。よく世の中には名前を書くだけで入学できるような大学が多いと聞くが、それどころではない環境で育ってきた彼や彼女らが、自分の人生のために必死に努力しているのを見てきた。

私自身も赤本と最後の冬季講習だけは受け、結果として、私大としてはかなり上位に位置するような大学に入学した。それを父は喜んでくれたが、しかし母はそうではなかった。彼女は高校を出てすぐに地元の工場に就職し、父と結婚した後は専業主婦として過ごしてきた人間である。そんな彼女にとって私のような人間など、もはや何を言っているのかも分からないまったく別の生き物だと感じられたことだろう。

21歳の時、私は実家を出た。単純に物理的距離が遠すぎたということもあるが、もっとも大きかったのは母の存在であった。その当時、もはや彼女にとって私は敵でしかなかった。私はこれ以上彼女と一緒にいてはいけないと察して、這々の体で家を出たのだ。それ以来、私は実家というものはもはや自分には存在しないものだと考えながら大学を卒業し、社会人になった。

そして社会人になり、できることもできないことも必死で頑張った結果、潰れてしまった。私は毎日暗い部屋でうずくまりながら、自分が何もできないことに絶望していた。そんな折、父から1通のメールが届いた。私はついに、恥も外聞もなく、「実家に帰りたい」と返信したのだった。

かくして、気がつけば干支が一周するぐらいの年月を経て、私は世に言う帰省というものをしたのである。お昼を食べながら、ふと母に聞かれた。「会社はリモートワークしてるの?」私は最初、曖昧に答えを濁していたが、ついに耐えきれなくなって全てを洗いざらい話した。うつ病になって会社を辞めたこと、今は無職なこと。そして会社でどんなことがあったのかも説明した。それは私が滅多に自分から吐くことがなかった、いわゆる「愚痴」である。そういえば今まで、母の愚痴を聞くことはあっても、自分から愚痴を言ったことがなかった。そして思わず泣いてしまった。

私の予想に反し、母はそれを聞いて、激昂することはなかった。それどころか、少し休んでアルバイトでもして、それから就職したら?という、とても全うな意見まで言ってくれた。そして続けた。「私には学がないから余計なこと考えないけど、あなたみたいな子だと色々と悩んじゃうんでしょうね。」予想外の反応に面食らいつつ、私は涙を必死に堪えた。そう、母は私が泣いているときはいつも怒るのである。それを思い出したからだ。

帰省期間は1週間程度で、その間、私はもう久しくやっていなかった「人間らしい生活」を堪能した。かつて自分がいた頃の両親はいつも喧嘩をしていて、どうしてこれで関係が続くのかと、子供心に不思議に思っていた。しかし今となっては、そのころの面影はすでになく、年老いた両親はお互いに「自分たち自身の生活」を取り戻していたように見えた。おそらく、子供がいた頃の彼女らは「自分の人生」を生きてはいなかったのだろう。もしかしたら、自分の存在そのものが彼女らの人生を見失わせてしまっていたのかもしれない。少し寂しい気持ちはありつつも、それでも両親が元気にやっているという事実を、私は純粋に嬉しいと感じた。

ところでうちの家庭では、基本的に両親がよく喋る。その影響か、子供は聞き役に回ってしまうことが多い。(例に漏れず帰省中も母はよく喋っていた。)コロナのこと、政治家のこと、芸能人のこと。私はその中のどのトピックにも、まるで興味がなかった。そもそも自分を保つことで精一杯で、そんなことに構っている場合ではなかったからだ。しかし人間とは面白いもので、自分が全く興味がないトピックになると、いくらでも適当に相槌が打てる。子供の頃はあんなにも聞いているのが辛かった、他人への批判や悪口の類ですら、ヘラヘラと笑って聞き流していられる。そして、そうなってしまえば当然、そこに無益な諍いは起こらない。正直に言ってしまえば、私はもう彼女の話をほとんど覚えていない。しかしそれは、私の人生の中でも稀有なものである、とても平和な時間であった。

「凪のお暇」という作品がある。その中で、いわゆる「毒親」と主人公の凪が対峙する場面がある。その話の中では、結局、母親も一人の人間だというように結論づけられていた。いまとなっては、その事実を本当に心から実感している。結局のところ、人間がモンスター化してしまうのはなにかしらの複雑な関係性のしがらみによるものであって、一度その関係性のしがらみが解かれてしまえば、結局その人もただの人に戻ってしまうのであろう。

今となっては、私は彼女を「(自分とは性質が全く違うが)ここまで育ててくれた人」だと認識している。もはやそこには、今まで積み重ねられてきた煩雑な感情はない。親は子供を認めてくれるものだとか、親が一番自分のことを知っているはずだとか、そういった前提は全てどこかでなくしてしまった。彼女と私の関係性は、たまたま同じグループになったから一緒にワークをしている他人、ぐらいのものだと思っている。つまるところ、「他人に期待しない」という考えの最たるものだ。当然、他人に期待しなければ、無用なストレスは減っていく。相手と平和的で友好的で「表面的な」人間関係を築くことができる。それはいたって人間的で、生活的な方法である。

他者を理解すること、他者に理解されたいと思うことが、いかに自己中心的で不条理な望みであったか。そんなことを考えながら、私は帰路についた。そこにはほんの少しの孤独と、大きな安堵感があった。

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