天才になれなかった全ての人と、報われなかった全ての天才へ

「左利きのエレン」という作品の主人公、朝倉光一が新聞広告賞を獲った。

この広告はとてつもないメタ構造で、漫画の主人公がその漫画の中で新聞広告を制作し、それが実際の新聞に載るという、とても複雑な様相を呈している。

そのあたりの面白さは別の記事で書くとして、この広告が賞を獲ったということは、自分にとってとてつもなくエモい出来事だった。私自身、「才能」について考えることがよくあったのだ。そしてこの漫画の主人公の「光一」は、とても普通の人間である。普通の広告代理店のデザイナーであり、ADであり、CDで、自分が天才でないことに悩んできた人間である。

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私は、幼少期の出来事から、「苦手なことを頑張らない」ということに力を注いできた。いや、注いできたというよりも、脳が勝手にどれをやるべきでどれをやるべきでないかを識別していたという感じだろう。基本的に、苦手だと感じたら手を出さない。そうすることでいくつかの可能性は逃しているのかもしれないが、そもそも人間の短い一生の中で、そんなに多くのことを成し遂げるなんてこと、普通は無理なのだ。たまに医師で文筆家なんていう人もいるが、そんな人はそもそも飛び抜けた「天才」というやつなのだ。

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私も、クリエイティブな世界にいたことがある。

たまたま絵が描けることを褒めてもらい、そこから学校のポスターやチラシ、文化祭の外装などを手がけるようになった。学内の投票で決まるポスター賞では1位や2位の常連だった。この先もデザインをやり続けるのがいいんだろうな、と思い、美大進学を志した。しかし、家庭にそんなお金はなかった(「私立の美大、授業料」で検索すれば、目が飛び出るような金額が出てくる)。自棄になって勉強をしたら、案外楽しくできてしまった。だから、デザインを生業にすることを諦めた。

社会人になって、システムエンジニアになった。算数が苦手な自分であったが、意外にもC言語を書くことはできた。プログラミング言語というのは、結局のところ「言語」である。きちんと書けば、プログラムは正しく動いてくれる。現代文が得意だった自分にとって、それは意外にも向いている職業のようだった。

しかし、勢いでその道を外れてデザインの世界に飛び込んだとき、自分に「クリエイティブ力」がないことに気づいた。

どうすればデザインが綺麗に見えるかは、なんとなくわかる。伝える時のレイアウトやイメージも湧く。しかし、そこを飛び抜けた面白い発想が出てこなかった。文脈をつかむことが得意な性質が災いして、文脈を飛び越えることができなかったのだ。

クリエイティブの才能がない。そう悟った私は、インターフェースデザインの方向に舵を取った。文脈を掴むことが得意で、ある程度の理解力もある。その能力が活かせるのは、そちらの方向だった。

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高校の頃、学内の合唱コンクールのポスターを作っていた。だいたい所属しているクラスのポスターは自分が作っていたのだが、3年の頃、美術部の友人が参入してきた。階段の踊り場に張り出された、各クラスのポスターを見て、私は「負けた」と思った。

友人のポスターは、あまりにも美しかった。

投票は、その友人が1位、私が2位という結果だった。私は当然だと思った。あまりにも彼女のポスターは才能に溢れていた。思えば、ここで私は美術への道を諦める踏ん切りがついたのかもしれない。

彼女はアトリエに通い、美大に行った。

そして、精神的に病んでしまった。

彼女いわく、周囲があまりにも浮ついているのが耐えられなかったという。実際、私たちのような公立高校に通う人間というのは、多かれ少なかれ浮つこうと思ってもできないような現実を抱えている。しかし同時に、私は「才能」が彼女を苦しめたのではないかとも思っている。

高校3年の夏、友人に誘われてアトリエの文化祭のようなイベントに行ったことがある。残念ながら、私はそこでなんの感慨も得ることができなかった。みんな好きなように好きなものを造っていて、しかしそこに「尖った何か」はなかった。

「・・・お金の無駄遣い。」

私はほんの少しの皮肉を感じながら、その会場を後にした。

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彼女には才能があった。少なくとも私はそう思う。その後の彼女の活動も少しだけ聞いていたが、やはり常人離れした観点があったし、美的感覚にも優れていた。その気になれば、アーティストにもデザイナーにもなれたのではないだろうか。しかし彼女は、それを活かしきれなかった。周囲の凡人達に殺されてしまった。

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私自身、特に自分が成功しているとは感じていない。人生は本当に山あり谷あり、常いかなる時も課題ばかりに囲まれて、今でも現時点では何者にもなれていない。それでも、なんとか生きている。もしも自分が、今でもできないことを必死にやっていたら。おそらくもう、私はこの世にはいないだろう。

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天才になれなかった私たちには、自分の能力を活かす道を探る以外の方法がない。しかし、もし運よく天才に生まれついてしまったとしても、それを活かす場所を見つけなければならないのだ。世知辛いといえば、世知辛い。

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私は、彼女が今、どこで何をしているのかを知らない。

でも、今でも絵を描き続けていて欲しいと、願ってしまう。


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