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モラトリアムはかく語りき
2021年3月10日 17:56
筋トレをしながらニュースを見ていたら、あの台湾のIT担当大臣のオードリー・タンが、福島県の学生たちと対話を行なったというニュースがやっていた。学生たちの質問に、分かりやすく、そして丁寧に解答する彼の姿は、彼が大人物たる所以を強く表現しているように見えた。一人の学生がこんな質問をした。「私はコンピュータ関係の勉強をしているが、周りには私よりもコンピュータが好きな人や、技術面で優れている人
2021年3月9日 16:16
私は今、非常に興奮している。exciteしているのだ。同じことを2回も言い、どこか変態的な印象を与える文章で始まったこの記事であるが、事実、私はexciteしているのだ(3回目)。何故か。何故、私は興奮しているのか。それは、FF7(ファイナルファンタジー7)が、あの新進気鋭の哲学者 斎藤幸平の著書『人新世の「資本論」』で言及される現代資本主義社会の矛盾を、非常に巧妙に描き
2021年3月4日 23:04
コロナ禍の暗雲垂れ込める中、ある言葉が人々の間で流行している。『自己責任論』他人、時には自分に対してすら向けられる残酷な響き。「だが、それは現実。」人は言う。我々の選択は、我々が自ら選ぶものである。自由意志を持つ我ら人間は、自らの運命を自らで切り開くことが出来るのだ。全ての行動は、何物にも干渉を受けない個人の意志によってなされる。そう、自由意志だ。それにもかかわらず
2021年3月3日 20:18
タイトルに書いた通りである。”当たり前”とは我々が作り出した偏見だ。”当たり前”我々は、”当たり前”を持っている。たとえば、人間についての当たり前。人間は、言葉を話し、二足で歩き、食事を口から食べ、目でものを見る。そして大体手が二本あり、足も二本ある。人間=大体こんなもの=”当たり前”の人間”当たり前”はこうして生まれる”当たり前”は、その人の経験によって生まれる。
2021年3月1日 21:39
”自己肯定感”自己啓発書やインターネットサイトなどでよく見かけるこの言葉。意味は、読んでそのまま「自己を肯定する感情」である。巷では、「自己肯定感を高める」だったり、「自己肯定感が低い」といった言い回しで使われることが多いようで、そのための”方法”なるものを伝授すると題した出版物も多く見受けられる。しかし、私はこのような「自己肯定感」に対して、大きな違和感を持っている。その違和感の