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自己は肯定も否定もしなくていい
”自己肯定感”
自己啓発書やインターネットサイトなどでよく見かけるこの言葉。意味は、読んでそのまま「自己を肯定する感情」である。
巷では、「自己肯定感を高める」だったり、「自己肯定感が低い」といった言い回しで使われることが多いようで、そのための”方法”なるものを伝授すると題した出版物も多く見受けられる。
しかし、私はこのような「自己肯定感」に対して、大きな違和感を持っている。
その違和感の原因は、
”自己”というものそれ自体について思うところがあるということ。
この記事では、”自己”というものがどのようなものであるのかということを考えながら、話題の”自己肯定感”について書いていく。
”自己”とは、という問い
”自己とは”、”自分とは”。
誰もが一度は考えたことのある問いであると思う。自分の人生を生きたいと思った時、まず、自分が何であるのかを知らなければ、”自分の人生”なんてものは歩めないと思われる方も多いと思う。
しかし、この問いを考えて答えが出た人はどれくらいいるのだろう。
一見、それらしく見えるものでも、実際は、”自己”というものの本質をつかみきれていないことがよくある。
ありのままの自分は、事実、”ありのまま”ではない
私はかつて、”自己”というものを”ありのままの自分”と捉え、それを受け入れることこそが、”自己を知る”ということになると思っていた。
何かとネガティブになってしまう自分、何かと皮肉屋な自分こそが本当の自己であり、人に対して無理やりに明るく振舞ったり、思ってもいないことを口にして人の機嫌を取る自分は”偽りの自己”であると。
自分が一番楽で、本来の自分と呼べるものが、ありのままの自分であり、本当の”自己”なのだと思っていたのだ。
しかし、
次第にそれは間違っているのではないかと思うようになった。
東洋哲学の影響である。
東洋哲学には、こんな世界観がある。
世界は常に変わりゆくもので、一定のものなど何もない。
世界だけではない、人間もまたそうなのだ。
この世界観を踏まえると、先ほど例に挙げた、「ネガティブに考える自分」は、常に変わりゆく私の中の一側面に過ぎない。なぜなら、自分は常に変わりゆくものだから。
自分の”ありのまま”だと思っていたとしても、そこには必ずその”ありのまま”を引き起こす状況がある。
私の場合、自分をネガティブにする要素があるということだ。
自分自身がその要素に反応し、ネガティブになっているのにも関わらず、その要素を無視し、ただネガティブになっている自分だけを捉えて自己を規定する。
それを繰り返すうちに、”自己”を自分でネガティブなものだと固定してしまっていたのだ。
「”ありのままの自分”は本当の自分ではないし、ありのままでもない。状況によって生み出される、自分の一側面に過ぎないのだ。」
自己とは
以上を踏まえ、私は自己をこう定義する。
状況に応じ変化する、一様でない存在
納得いかないだろうか。しかし、そもそも、自己を何か一つの概念の檻に閉じ込めようとするこの問いこそが、間違っているという可能性すらあるのだ。
自己は多様、何を肯定して何を否定するのか
上記の定義は、自己が性質として一定でないことを表している。
そんなものを、どうやって肯定するのか?
答えは単純である。
肯定も、否定もしない
そもそも、そういった評価を与えようとすることが間違っている。
人間は、肯われるものではないし、否とされるものでもない。
さらに性質が一定でないんだから、
評価したところで次の瞬間には自己は違うものになっているだろう。
あなたは、今日の自分と過去の自分が全く同じ考えで、まったく同じ人間だと言えるだろうか?
自己肯定感、ナンセンスだ。
「それでも、自分を否定してしまう。」それならば、いい方向に変わるように心がければいい。
「そんなことを言われたって、自分がネガティブに考えてしまうことに実際今罪悪感がある。」
上の定義に、私ならこんなことを言ってしまう。だって、人は変わるって言ったって、今現在私はネガティブだし、そういう反応を繰り返してしまうんだから。
そんな問いにも答えは簡単。
じゃあ、変わればいい。
だって、人間は常に変化するもの。変われないはずはない。
しかし、どうやって?
具体的な方法:”自分らしさ”を求めない
①まず、状況に瀕したとき、「いつもの自分ならこう答えるだろう」ということを考える。
②しかし、そこでその言葉を言うのではなく、一瞬待つ。
③そして、状況や相手の感情を、出来るだけ冷静に考える。
④熟考したのち、その答えを口に出す。
これが私が自分を変えるためにやっている方法である。
しかし、一つ言っておく。最初は必ず失敗する。なんか、リズムが悪いとか、よくわかんないで終わったり(実体験)。
でも、繰り返していくうちにうまくいくようになる。なぜならば、相手の感情を考えることで自分自身の感情のレパートリーも広がり、状況に対する冷静な判断力も養われるから。
これはまさしく、いい方向へ自分を変えることが出来ていると言えるだろう。
最後に
ここまで
・”自己とは”という問いに対して出される答えは、非常に疑わしい場合が多いということ
・”ありのままの自分”とは自分が楽な時や自分がよくする行動ではないということ
・”ありのままの自分”も自己の一側面に過ぎないに過ぎないということ
・自己とは、「状況に応じ変化する、一様でない存在」であるということ
・自己に肯定とか否定とかいう評価を与えることが間違っていること
・人は絶対に変わるので、今の自分が嫌ならば変わればいいこと
・その具体的な方法
について述べてきた。
自己が一定ではないという話をしたが、それは自我が存在しないということを指しているわけではない。
また、あくまでも、この議論は、自己肯定感という言葉が、”自己”=「現状から変わらない自分」という前提のもとに立っていることに対しての違和感からきているということにも注意していただきたい。
またまた、現在、出版やサイトに乗せられている、自己肯定感を上げるとされているメソッドを完全に否定するものでもない。そういったメソッドは、自分をより良い方向に変えるという点では効果的である場合が多いと思われるからだ。
この記事が、あなたの役に立てば幸いです。ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。
※ここまで書いたものは、あくまでも私の一意見です。よかったら、コメント等で、あなたの意見を教えてください。
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