「競争ではない」響いたオードリー・タンの言葉
筋トレをしながらニュースを見ていたら、あの台湾のIT担当大臣のオードリー・タンが、福島県の学生たちと対話を行なったというニュースがやっていた。
学生たちの質問に、分かりやすく、そして丁寧に解答する彼の姿は、彼が大人物たる所以を強く表現しているように見えた。
一人の学生がこんな質問をした。
「私はコンピュータ関係の勉強をしているが、周りには私よりもコンピュータが好きな人や、技術面で優れている人が沢山いる。そういうのを見ると不安になることがある」
この質問に対し、オードリーはこう答える。
「競争ではない。何か一つの提案が、何万もの人を幸せにする。」
私はこの答えに感動した。かつてAppleで人工知能Siriの開発に関わった彼が言うこの言葉には説得力があった。
「競争」が内面化してしまっている私たち
前にこんなちょっとした小説のような、詩のようなものを書いた。
私たちの生活には競争のような「戦い」が溢れているということをテーマにした、ちょっとした文章だ。
でも、競争は今や、社会とか生活とか、外部にのみあるのではない。
我々の内面もまた、「競争」というものに取り憑かれているのかも知れない。
我々が今生きているのは資本主義的な世界だ。
絶えず価格競争が繰り返され、我々はより〇〇なものを欲してしまう。
何かを手に入れたらまたもっといいものが欲しくなっている。
人間もそうだ。
欲するだけでなく、欲されている。
就職活動なんて、こういう競争の最たるものだろう。
そして、我々の内面にも、内面的判断にも、いつのにか競争が紛れ込んでいた。
恋愛という超人間的な営みにでさえ、「もっと可愛い子」「もっとお金持ちの人」とかいう競争が入り込んでいる。
いつからだろうか?
資本主義が始まってから?もっと昔?
もしかして最初から?
内面的な競争に囚われないオードリー・タンの言葉
もはや、人間とは切り離せなくなってしまったかも知れない「競争」というものを、オードリーは重要ではないと言った。
もっと大切なことは、「ただ一つの提案」だ
と。
これはどういうことか。
この記事を読んでいる人ならきっと知っている。オードリーはトランスジェンダーを公表している。
つまり、自分自身が"性別"という概念に縛られない、個性的な存在であることを公表しているのだ。
もう彼が言いたいことが分かるような気がする。
大切なのは、何かの価値とか、その価値の競争とかではなく、個性であるということ。
誰かと比べて、
「ここが劣っているとかいう話ではない。」
それぞれが個性であり、その個性によってのみ創造される素晴らしいものがあるということ。
彼の言葉は、それを分かりやすく、丁寧に言っているものなのだろう。
オードリー・タン。新しい時代の旗手である。
参考:シブ5時(NHKニュース)
福島民報:
https://www.minpo.jp/news/detail/2021022483916
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