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#掌編小説

思い出の内側で

思い出の内側で

「安い飲み屋でしか生まれない思い出ってのがあんだよ」

若い笑い声が響くなか、目の前の男はそう諭してきた。私は特に返事もせず、醤油のかかりすぎたホッケをつまむ。
先程まで不機嫌な様子を出したつもりはなかった。それなのにこんなことを言うのは、やはり後ろめたさがあるのだろう。

和樹とは付き合ってもう3年になる。アパートの内見案内をしている途中、突然「ここに君と住みたい」と告白されて、私は面食らってし

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無言の恋人

無言の恋人

荒い質感の肌が私の手の甲に触れた。満員電車のなか息苦しくもだえながら、こんな老体がその一員に加わってしまっている申し訳なさに体も心も小さくなっている時のことだった。

普通、こんなすし詰めの状態で手が触れあった程度で謝ることはない。それでも彼は私に接触する度に「すみません」と消え入りそうな声で言ってきた。
そのうちに少し乗客が排出され空間が生まれても、彼は離れることはなかった。二の腕や甲同士が触れ

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ひらがな旅仲間

ひらがな旅仲間

「あ」は歩いていた。なんだかつまんないなぁと、口を開けてぼーっと歩いていた。そのうち友達にバッタリ会うと、あっ、と言って笑った。

「い」は言い合っていた。こちらの跳ね具合の方がイカしていると、両側とも譲らなかった。けっきょく結論はでず、口をいーっとしてそっぽを向いた。

「う」は拗ねていた。マンボの踊りの決めポーズが、双子の喧嘩で台無しになったからだ。ここが見せ場だったのにと、膝を抱えて口をうー

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おしまいの夢

おしまいの夢

その夢の中で、僕はひとを殺した。

すっかり子供の姿になった僕は、おなじく子供の友達3人と暗いビルのなかで息を潜めていた。皆の手にはそれぞれ別の形の銃があり、僕はスナイパーライフルを持っていた。

だれをやろうか、なんてことを小声で話し合ったりしていた。先生に悪戯するような無邪気さだった。
クスクスと笑い声が響くなか、そっとスコープを覗きこむ。

ミニチュアになったような町のなかで、数人の大人が歩

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呪われし印籠

呪われし印籠

「助さん、格さん、もういいでしょう」

上品な声が不愉快に鳴った。
ついに来た。手に汗がにじむ。
奴らに何度やられてきたことだろう。何をどうやったって、あの懐からアレが取り出された途端、こちらは身動きひとつとれなくなるのだ。

幾度となく頭を巡らせた。よりうまく、より楽に、贅沢な暮らしができるよう。なのに、あのふやけた面した爺の隣がアレをひとつ取り出すだけで、こちらが積み上げてきたものはすべて露

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bar memories

古びた木製の扉を開けると、暗い店内の奥にカウンターがあるのが分かった。ひとつだけ置かれた蝋燭の小さな炎が、やけに明るく見える。

「いらっしゃいませ」

何時の間にかその隣に老齢の店員が立っていた。先程までは居なかったように思えるが、さだかではない。
男は足早に中へ進むと、背の高い椅子にどかりと掛けた。

「記憶を売ってるってのは本当か」

店員はグラスを拭きながら「はい」と一言返事をした。すると

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