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デカルトとレヴィナスを並べて語る理由
以前、後期レヴィナスの〈近さ〉概念について考察した記事を書いたことがある。
『存在の彼方へ』で頻出する〈近さ〉は、ハイデガーに極まる近代的存在論への批判概念として、レヴィナスの哲学体系全体をつらぬいて在ることを拙いながらも示そうと努めた。
振り返って読んでみると、仔細に論じるべき大きなテーマがいくつも配置されており、結局何ひとつ深く語れずに、全体を外観するにとどまったという印象をもった。一つの
Friday night
酒とタバコが入り混じる
酔っ払いのオトナたち
お決まりの このあとどこいく?
別にいきたくもないけれど
カウンターでハイボール
ひとりぼっちの世界
喧騒に身をまかせ
消えてなくなる存在
ひとりになりたいの?
だれかと話したいの?
よくわかんないけれど
たぶん君と話したいんだと思う
なぜ僕は僕なの?
なぜ君は僕じゃないの?
存在に釘づけ
誰のかわりにもなれやしない
もしも 僕が君になれたら
perfect days
分断された世界
同じ世界にいるけれど
同じ世界を生きていない
頬を伝う涙 僕らを別つ境界線
どこぞのシンデレラ?
白馬の王子様なんて不要さ
僕が僕の世界の王子なのだから
変わり映えのない日々でも
ちいさなしあわせ
木漏れ日のゆらぎ
汗を流す銭湯
一杯の酎ハイ
寝る前の読書
明日は明日の風が吹く
明日のことなど気にしない
いまを懸命に生きるだけ
2024年3月10日(日)
9時半、起床。昨夜のお酒が残っている感じではないが、どことなく疲れがあった。回復に時間を要するのは加齢のせいなのか、それとも怠慢な生活習慣のせいなのか。いずれにしても、体力をつける必要性をひしひしと感じるのであった。
10時半、友人との『中動態の世界』読書会。お互いの日程があわず、3週間ぶりの開催となった。今回はアーレントが『精神の生活』において、「リベルム・アルビトリウム」ではなく「意志」概念