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レヴィナス『全体性と無限』を読む(7)ー 「兄弟関係」で結ばれる共同体

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.376 - p.380
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
6 〈他人〉と〈他人たち〉

2.解題

顔の現前化は、発話によってすでに私たちのあいだに共通のものとして置かれた所与を超えたところで私を呼ぶ。
Elle m'appelle, au contraire, au-dessus du donné que la parole met déjà en commun entre nous.


「私たちのあいだ」で起きているすべては万人に関わるのであり、私を見つめる顔は公共的秩序の白日のもとに場を占めるのだ。
Tout ce qui se passe ici 《entre nous》 regarde tout le monde, le visage qui regarde se place en plein jour de l'ordre public…

p.376

他者の顔は、私の自由を問いただし、応答せよという義務(責任)を課す道徳的審級として、すでに何度も語られてきている。しかし、ここで重要なのは、顔が私という一個人のみならず、「私たちのあいだ」=「公共的秩序」に対しても関わってくるという点だ。つまり、レヴィナスは、私と他人以外の、第三者としての他人たちが登場する公共空間における顔の地位について議論を進めようとしている。

他人の眼のなかで、第三者が私を見つめている―言語とは、正義なのだ。
Le tiers me regarde dans les yeux d'autrui - le langage est justice.

顔が顔として公現することが、人間性を開くのだ。
L'épiphanie du visage comme visage, ourvre l'humanité.

顔の現前―〈他者〉の無限―とは、赤貧であり、第三者の(言い換えれば、私たちを見つめる全人類の)現前であって、命令することを命令するような命令である。
La présence du visage - l'inifini de l'Autre - est dénuement, présence du tiers (c'est-à-dire de toute l'humanité qui nous regarde) et commandement qui commande de commander

p.377 - p.378

「公共空間」とはすなわち「社会」である。この社会は一見すると、ひとりひとりを、種としての人類の一部=全体性のなかの部分として包括してしまうのだが、顔が公現することにより、顔は主体に呼びかける。呼びかけられた主体にたいして応答するための「責任」が呼び起こされる。言語を発話する責任が生まれるのだ。顔が応答を迫るという意味で、それは「命令」である。

言語によって創設される人間共同体―そこでは対話者たちは絶対的に分離されたままである―は、類の統一性をなすわけではない。この人間共同体は、人間どうしの類縁関係を自称する。
Mais la communauté humaine qui s'instaure par la langage où les interlocuteurs restent absolument séparés - ne constituent pas l'unité du genre.

言語は人類という種への包摂を停止させ、ひとりひとりの「人間性」を開いていく。人は他の誰にも包摂されない、その人自体で分離されている。分離されたひとりひとりが集まった共同体が「人間共同体」であり、それは「類縁関係」によって結ばれている。

父性は因果関係ではない。そうではなく、父性はある唯一性の創設であり、父の唯一性はそれが創設するこの唯一性と合致すると同時に合致しない。この非合致は、具体的には兄弟としての私の立ち位置のうちに存しており、私の脇にほかの諸々の唯一性がいることを含意ししている。それゆえ、私としての私の唯一性は、存在の充実状態を要約していると同時に、私の部分性を、すなわち顔としての他者の面前にいるという私の立ち位置をも要約している。
La paternité n'est pas une causalité : mais l'instauration d'une unicité avec laquelle l'unicité du père coincide et ne coincide pas. La non-coincidence consiste, concrètment, dans ma position comme frère, implique d'autres unicités à mes cotês, de sorte que mon unicité de moi résume à la fois la suffisance de l'être et ma partiellité, ma position en face de l'autre comme visage.

類縁関係によって成り立つ人間共同体は「父性」の「唯一性」によって支えられている。「父性」は「唯一性の創設」人間ひとりひとりの唯一性を保証する。それはひとりひとりを分離したまま結びつける原理である。このような類縁関係は「兄弟関係」とも呼ばれ、「複数の個体性」と「父の共通性」によって結ばれる共同体である。


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