ぬま

主な関心領域は20世紀フランス哲学、政治哲学、美学、現象学です。 ここではレヴィナスを中心に自由に哲学しています。また、哲学的文章、エッセー、日記、詩などを通じて文体の可能性について実験もしています。BlueSkyアカウントは@pinoakkey.bsky.social

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主な関心領域は20世紀フランス哲学、政治哲学、美学、現象学です。 ここではレヴィナスを中心に自由に哲学しています。また、哲学的文章、エッセー、日記、詩などを通じて文体の可能性について実験もしています。BlueSkyアカウントは@pinoakkey.bsky.social

マガジン

  • レヴィナス『全体性と無限』を読む

    エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』の邦訳(藤岡訳)を読解します。個人的な勉強用ノートとして活用しており、学術的な根拠はないのですが、みなさまの思索の一助になれば幸いです。

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最近の記事

レヴィナス『全体性と無限』を読む(9)―「正義」について

「正義」の概念は「言説」の概念と不可分にある。「言説」の概念について概観していこう。前回の「真理」の記述においては、認識する主体である「私」が、「他なるもの」である「無限」を〈欲望〉する運動が「真理の探究」であることを示した。レヴィナスは、「私」と「無限」の関係を「隔たりを飛び越えると同時に飛び越えることのない、この真理という関わり」(同書 p.120)とも言い表している。そして、この関係は「言説」に依拠している。 1.「認識」を逃れる「顔」 「言説」の前に、レヴィナスは

    • レヴィナス『全体性と無限』を読む(8)― 「真理」について

      範囲 第Ⅰ部 〈同〉と〈他〉 B 分離と言説 2 真理 本稿では、『全体性と無限』における「C 真理と正義」の「問いただされる自由」の読解にむけた準備として「真理」の概念について概観する。 「真理」はその語が示すとおり、客観的に常に正しい事実を指しているわけだが、「真理」が「真理」に値するには、「誤謬」があってはならない。いいかえれば、「真理」においては「無知や錯覚や誤謬の危険」が一切無いということが確証されねばならない。では、「真理」の真理性が確証されるためには、どのよ

      • 僕のやっていることは「趣味」なのか?

        はじめに 僕はいま、週末に哲学書を読んで、そこから得たアイデアを文章として表現する活動に取り組んでいる。文体は基本的には論文調で、参考にした書籍は一応列挙するものの、先行研究の整理をしたり、脚注はつけたりといった、アカデミックな作法には則っていない。その意味で僕のテキストは(そもそも媒体がSNSなのだから当然)学術論文ではない。しいていえば、それは哲学風エッセイである。 このような表現活動を、一時期〈哲学研究〉と称することによってモチベーションを保とうとしたこともあった[

        • 言語から身体へ - デリダへの応答としての『存在の彼方へ』

          先日、レヴィナス読解の2つの方向性のうち、「狂気」の領域について少し書かせていただいた。 今回は「言語」について書きたいと思う。 レヴィナスと「言語」の問題(のみならず、レヴィナスの思考全体)を考えるうえで欠かせないのは、やはりデリダであろう。デリダがレヴィナスを批判的に取り上げた論文「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』収録)は、 レヴィナスの第二の主著である『存在の彼方へ』における思想的転換に少なからぬ影響を与えたと言われている。 レヴィナスはたしかに、ハイ

        • レヴィナス『全体性と無限』を読む(9)―「正義」について

        • レヴィナス『全体性と無限』を読む(8)― 「真理」について

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        記事

          gravity

          僕と君とのあいだに 幾億光年の闇 地球からみたら お隣りのふたり 宇宙は広がり続ける 僕と君との距離は 瞬く間に広がっていく 気付けばもう君は彼方 ひとりぼっち 愛は重力だ 空間と時間を貫いて 離れ続ける僕らの心を 繋ぎ止める無限の力 古今東西 誰もが知る力 しかし 誰も知らない力 愛の物理学者は 重力を定義可能か? 神のみぞ知る世界 僕と君とのあいだに 細い一筋の光 宇宙からみたら 触れ合うふたり

          レヴィナスの「狂気」、フーコーの「精神疾患」

          相変わらずレヴィナスを中心に色々と考えているが、最近、特に自分の中で重要度が増してきているのが「狂気」と「言語」という2つの領域である。 まず「狂気」について。「狂気」とは何かと、強いて定義するならば、それは「正常から逸脱している精神状態」であるといえる。狂気を積極的に定義するのは難しい。というのも、狂気はつねに「正常」と比べられ、「正常ではないもの」として消極的に定義するほかないからだ。では、正常とはいかなる状態か。これもまた難しいが、あえていえば「合理的に判断できる精神

          レヴィナスの「狂気」、フーコーの「精神疾患」

          美しく空っぽな日々に献げる讃美歌 - perfect days ver2.0

          仕事がおわって疲れて帰る ご飯を食べてお風呂に入る お酒を飲んで本を読んで 時間が来たら布団に入る 仕事はうまくいっている 人間関係も悪くない いまの職場でしばらくは 頑張れると僕は思う これが僕の生活で ごく普通の生活で 目新しさは特になく 日々淡々と過ぎていく お金はお酒やタバコに使う 恋人や友達と会って話す 本もけっこう買って読む 残ったお金は貯めている 贅沢な悩みだろうか すごく困っているわけでも すごくつらいわけでもない 普通の生活で安定した生活 僕らが嘆

          美しく空っぽな日々に献げる讃美歌 - perfect days ver2.0

          愛について

          愛することは技術だ とある学者は言った だから愛するのは疲れる 僕は僕を壊さないと 君を愛せないのか? 愛の反対は無関心だ とある作家は言った 憎しみは愛から生まれる 君を殺すことだってできる 愛は次元を超えてゆく 空間も時間も関係ない それはまるで重力で 人間における無限の力 AIは愛の定義を教えるが 愛の力を知ることはない 小難しい哲学的定義 定義は言葉だが 力は言葉ではない 言葉はきっと 愛から生まれたんだろう 僕らはもう戻れない 愛の世界は死んだ 孤独を愛する

          愛について

          産まれたてのことば

          産まれたてのことば ことばの赤ちゃん ギャンギャン泣き叫んで 耳を劈く そこに含みなどない ただ命令があるだけだ 聞く者を容易く動かす 絶対的なことば ことばは愛のこどもだ 愛がなければ 君に何か伝えたいとは思わない 愛がなければ 僕のことわかってほしいとは思わない 産まれたてのことば それはあまりにも純粋で 生命に満ちあふれている なんだかよくわからないけど 胸を打つものがある それは意味ではない 無意味でもない きわめて原始的な 自己の存在証明だ 「わたしはここ

          産まれたてのことば

          destiny

          生きる喜びも悲しみも ひとしく虚しい紛いもの 人生のスパイスなんていうけれど いずれ味覚を麻痺させる 嗚呼 純粋無垢たるニヒリズム 嗚呼 懐古主義たるニヒリズム いまさら嘆くことじゃない すでに神はいないのだから 僕と無関係に存在する世界 敵でもなく 味方でもない 僕と世界を分つもの That's a destiny 苦悩が苦悩でなくなるとき 僕は世界の一部になる 僕と世界を繋げるもの That's a destiny

          レヴィナスからフーコーへ

          レヴィナス的主体の困難 以前こんな記事を書いたことがある。社会人になってから哲学を勉強しはじめたわけだが、その取り組みを「哲学研究」と呼称することによって、勉強のモチベーションにしていた。そこで僕が取り組んだのが、デカルトの〈無限〉概念とレヴィナスの〈顔〉概念の関係性についてである。 レヴィナスに寄せていた関心というは、西洋哲学において措定されてきた理性的主体を、レヴィナスは完全に転覆したうえで、まったく逆の、非理性的=精神疾患的主体の在り様を「倫理」にまで高めようとした

          レヴィナスからフーコーへ

          shadow

          青春の光は 線香花火 煌く火花は 灰となり 立ち昇る煙 肺を冒す 彼らは光?僕は影? 青春の光 すべてを暴く there is no shelters 隠れる場所もない 僕が望む人生は 蔑むべき人生? 僕が望んだのか? 望まされているのか? 「人には人の生き方がある」 そんなのただの言い訳 とれないブドウは すっぱいブドウ 光に影はつきまとう ドブネズミみたいに 人知れず夜を駆ける それもいいだろう 人生は 影という光 life likes as a shadow

          ocean

          波打ち際で はしゃぐこども 砂の城は 波にさらわれ 跡形もなくなる ひとり小石を集める 色とりどりの さまざまなかたち 小さな小石 大きな小石 歴史を語る 永遠のかけら この世でたったひとり 僕だけが知る 秘密の時間 誰も知らない 隠された世界 はしゃぐこどもは まだ永遠を知らない 僕らはひとつ 母なる海で 繋がるいのち 眩いばかりの いのちの輝き 刹那の煌めき 永遠の孤独 水平線の向こう側 空と海が交わって 限りなく広がる青 独り占めしたいけど 誰かと一緒に見たい

          レヴィナス『全体性と無限』を読む(7)ー 「兄弟関係」で結ばれる共同体

          1.範囲 藤岡訳『全体性と無限』p.376 - p.380 第Ⅲ部 顔と外部性 B 顔と倫理 6 〈他人〉と〈他人たち〉 2.解題 他者の顔は、私の自由を問いただし、応答せよという義務(責任)を課す道徳的審級として、すでに何度も語られてきている。しかし、ここで重要なのは、顔が私という一個人のみならず、「私たちのあいだ」=「公共的秩序」に対しても関わってくるという点だ。つまり、レヴィナスは、私と他人以外の、第三者としての他人たちが登場する公共空間における顔の地位について議

          レヴィナス『全体性と無限』を読む(7)ー 「兄弟関係」で結ばれる共同体

          Friday night

          酒とタバコが入り混じる 酔っ払いのオトナたち お決まりの このあとどこいく? 別にいきたくもないけれど カウンターでハイボール ひとりぼっちの世界 喧騒に身をまかせ 消えてなくなる存在 ひとりになりたいの? だれかと話したいの? よくわかんないけれど たぶん君と話したいんだと思う なぜ僕は僕なの? なぜ君は僕じゃないの? 存在に釘づけ 誰のかわりにもなれやしない もしも 僕が君になれたら 世界はもっと輝くのかな そのとき僕は幸せなのかな よくわかんないけれど 僕はひと

          Friday night

          研究が全然進まない理由

          まえがき いま現在、僕は社会人として働きながら、趣味で哲学研究を行っている。 素人が趣味で哲学研究をしているなどというと、研究職の方や研究職を目指す学生の方々に怒られてしまいそうではあるが、「勉強」と呼ぶよりも「研究」と呼ぶ方がシンプルにカッコいいし、自分の取り組みに一定の意義を与えられる気もするので、僭越ながらそう呼ばせていただきたい。 ちなみに、僕は大学で経済学を専攻しており、哲学は授業とゼミで少しばかり勉強した程度である。卒業後は独学で勉強しつづけた。大学院には行

          研究が全然進まない理由