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レヴィナス『全体性と無限』を読む

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エマニュエル・レヴィナス『全体性と無限』の邦訳(藤岡訳)を読解します。個人的な勉強用ノートとして活用しており、学術的な根拠はないのですが、みなさまの思索の一助になれば幸いです。
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レヴィナス『全体性と無限』を読む(9)―「正義」について

レヴィナス『全体性と無限』を読む(9)―「正義」について

「正義」の概念は「言説」の概念と不可分にある。「言説」の概念について概観していこう。前回の「真理」の記述においては、認識する主体である「私」が、「他なるもの」である「無限」を〈欲望〉する運動が「真理の探究」であることを示した。レヴィナスは、「私」と「無限」の関係を「隔たりを飛び越えると同時に飛び越えることのない、この真理という関わり」(同書 p.120)とも言い表している。そして、この関係は「言説

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(8)― 「真理」について

レヴィナス『全体性と無限』を読む(8)― 「真理」について

範囲
第Ⅰ部 〈同〉と〈他〉
B 分離と言説
2 真理

本稿では、『全体性と無限』における「C 真理と正義」の「問いただされる自由」の読解にむけた準備として「真理」の概念について概観する。

「真理」はその語が示すとおり、客観的に常に正しい事実を指しているわけだが、「真理」が「真理」に値するには、「誤謬」があってはならない。いいかえれば、「真理」においては「無知や錯覚や誤謬の危険」が一切無いとい

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(7)ー 「兄弟関係」で結ばれる共同体

レヴィナス『全体性と無限』を読む(7)ー 「兄弟関係」で結ばれる共同体

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.376 - p.380
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
6 〈他人〉と〈他人たち〉

2.解題

他者の顔は、私の自由を問いただし、応答せよという義務(責任)を課す道徳的審級として、すでに何度も語られてきている。しかし、ここで重要なのは、顔が私という一個人のみならず、「私たちのあいだ」=「公共的秩序」に対しても関わってくるという点だ。つまり、レヴィナスは、私

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(6)ー 他者と出会う場としての客観性

レヴィナス『全体性と無限』を読む(6)ー 他者と出会う場としての客観性

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.370 - p.376
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
5 言語と客観性

2.解題

言語によって私と事物の関係は他者のもとに置かれ、「使用上の関係」から「理性的な関係」に移行する。「使用上の関係」とは、例えば、「ハンマーは釘を打ち付けるための道具である」というように、ある目的を果たすための手段として道具化され、そのうえで対象を私に都合の良いように変容して

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(5) ー 意味、言語、思考

レヴィナス『全体性と無限』を読む(5) ー 意味、言語、思考

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.362 - p.370
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
4 言説が意義を創設する Le discours instaure la signification

2.解釈

前回の解釈によれば、言語は形式的な私と他者(顔)の関係に真の意味での「始まり」をもたらす。デカルト的な無限とコギトの関係は「神秘的関係」と形容されていた。他方、顔との倫理的関係は、言語によ

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(4) ー「理性的教え」としての顔

レヴィナス『全体性と無限』を読む(4) ー「理性的教え」としての顔

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.357 - p.362
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
3 顔と理性

2.解釈

表出は顔の表出のことである。この表出は「知解可能な形態」、すなわち、全体は部分的な個の集合によって構成され、他方で、個はその集合である全体を構成する部分に還元される、そのような還元主義的な構造において現れるのではない。では一体どのようにして顔の表出は生起するのだろうか?

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(3) ー「殺人の不可能性」としての顔

レヴィナス『全体性と無限』を読む(3) ー「殺人の不可能性」としての顔

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.350 - p.356
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
2 顔と倫理

2.解釈

私が殺したいと唯一望みうるのは「絶対的に自存する存在者」であり「他人」であり「顔」であるという。それは私を「無限に凌駕しており」、私の権能[ pouvoirs ]を麻痺させる。しかしながら、それが私を無限に凌駕するにしても、なぜ私が「殺したい」と望む「唯一の存在」として断言で

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(2) ー デカルト的無限への回帰

レヴィナス『全体性と無限』を読む(2) ー デカルト的無限への回帰

1.範囲

藤岡訳『全体性と無限』p.342 - p.349
第Ⅲ部 顔と外部性
B 顔と倫理
1 顔と無限

2.解釈

引用にたいしてメモを付すかたちで書いていく。(なお、ほとんど思いつきで書いており、公開にあたって推敲もしていないので、誤字脱字、雑な解釈等々あると思いますが、ご容赦いただけますと幸いです。)

無限としての顔について説明される。顔はまず「了解されないもの」として、私たちのまえ

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レヴィナス『全体性と無限』を読む(1)ー《感性的なもの》の超越論的現象学

レヴィナス『全体性と無限』を読む(1)ー《感性的なもの》の超越論的現象学

読んだ箇所

藤岡訳『全体性と無限』p.329 - p.342
第Ⅲ部 顔と外部性
A 顔と感性

メモ

レヴィナスは、「顔」を語る前に「感性」について論じる。感性とは何か?感覚のことだが、それは享受と密接に結びついている。享受は「現実」をありのままに受け取る能力のことだと思われるが、この享受が感性ないし感覚を支えている。対象化の作用によって主観的な感性ないし感覚は抹消されてしまう。享受は対象化

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