#私のお店
「テンプレート変えろ!生身の人間でありたいのなら皆と同じことを言わないこと!」
ネット社会の中でいると、どうしても口調や論調、考え方までが平均化されるような気がして仕方がない。
いいことを言っている人がいたら、それがいつの間にか自分の意見になっていたり、
批判している人がいれば、自分はそう思っていなかったのに同じように批判したり。
自分の意見だと思っているものも気づけば誰かの意見になっていたりする。
たくさんの、自分の知らない人たちの意見がインプットされるのは良い面も
「どんだけAIが進化しても人の欲望は変わらないからねぇ~」
どれだけ時代が便利になっても欲しいもの、したいことは変わらないのだと思う。
AIは予測することができるだけであって、わたしたちは自分で選択することができることには変わりない。
だから何事でもAIに左右されることっておそらくないと思う。今の時点では。
ただ、AIがおすすめしてくるものには新しい発見があるので、自分でセレクトする反面、何を繰り出してくるのかを楽しめる部分もあって、わたしはAmaz
「皆んなオンラインレッスン始めてるけど AIが代わりにやってくれたらと思うなぁ~ 人間がやる必要はないね!」
みんな本当に今仕事がないし、ラッキーこれだということでどんどんオンラインレッスンが開講して乱立して、なんならプロアマ関係なくレッスンしますとか言い出してる。
いやいや、もとの生徒さんがいなかったらレッスンなんて成立しないんだって。そしてこんな時期に突然生徒さんが増えることなんてまずない。昨日のコンクールの受賞歴の話じゃないけど、生徒さんも先生を選ぶわけだから、結局一極集中するのでは、と思ってしま
「コンクールの受賞歴って単なる全アトラクション対象の「ファストパス」。やりたいことが決まってる人には不要なもの。でも可能性を考えている若手演奏家にはマスト!」
持っているのと持っていないのでは大きな違いだと思う。プロフィールでどこを見られるって、やはりそこだからだ。
学歴も然り。学歴を追い越そうと思ったら、コンクールのタイトルが必要になってくる。
最近は芸術系の大学に進学せずにもの凄く演奏できる演奏家もいるけれど、そんな人たちはほんの一握り。
そしてコンクールのタイトルをがんがん取ってくる。
そんなことでわたしたちクレモナはどうしてもヨーロッパで
「音楽の場合ね 才能と言うのは成功のショートカットにはならないんだよね!」
自分には才能がないから、本当にそうなのか?と思う反面、
努力でフォローできる部分が多いんじゃないか、
むしろ努力がものをいうのではないかと、
クレモナを始めてから思えるようになりました。
最近こういった努力論を体育会系、ブラック、洗脳されてる!
みたいに評価する風潮もあるけれど
努力することは恥ずかしいことではないと思っている。
(逆に努力しないことも恥ずかしいことではないのだと思えるようになっ
「相手の影響力を使うっていうことは お金を使わせることと同じだよね」
のっかかり、というのはそののっかかる相手の今までのキャリア(お金と時間をかけたもの)にのっかかるということだと思う。
しかもたいがいのっかかる側はお金を使わない。知恵も使わない。
コピーは劣化する。真似をするなら真似する以上のものを生み出さないといけない。
インフルエンサーと呼ばれる人たちのすごいところは、常にその上をずっと行き続けるところだ。
誰かがコピーして盛り上がっているうちにまた新
「発信することで確実に愚かになっていると思うなあ 退化しているって感じないの?」「断るって一番リターンの少ない行為だからね!」
書きにくかったので今日は2本立て。
「発信することで確実に愚かになっていると思うなあ 退化しているって感じないの?」
何について言っているのかわかりませんが。
発信することが退化になるならわたしたちはずっと退化し続けているのか?
いや、そうではないように思います。
ぼんやり意味もなく適当にルーティンを発信し続けることが退化につながるのであって、
おそらく言葉をきちんとつむいで生み出した
「何やっても表現のテイストが似通ってきていると思うなあ」
メルマガを今書きしたためているのだが、自分の楽器紹介のコーナーがあって、久しぶりに「ファゴット」というものに向き合っている。ヤマハという楽器が、音色においては奏者それぞれの個性をだせる、という話をしたのだが、その奏者の個性というのはどういう部分で起こるものなのかというのを考えている。
ひとりの人の中でテイストが似てくる、という言葉はある意味ではその人が個性を持って演奏しているということなんだろう
「聴いてくださる方の想いを預かって代弁する 音楽はそうでなくちゃいけない!」
今、お客さまはどんな気持ちなのだろう?どうしてわたしたちを聴いてくださるのだろう?
ということをステージ上ではよく考えて、言葉や、演奏の内容(テンポとか、ボリュームとか、アゴ―ギグとか…)を変化させています。ステージの上って自分の感覚がいつも以上に研ぎ澄まされるので、そういうお客さまの気持ちの波を痛いほどキャッチできます。
3月末のお花見ライブでは、やはり、ここに出てきてよかったのだろうか?と
「色んな考え方を取り入れるからバカな演奏になるんだよ 結局、聴いてくださる人を低く見ているだけでしかないよ!」
あなたたちのやる音楽は難しいから、歌謡曲とかやってよ、と活動したての頃はよく言われました。
監督には、絶対に手を出すなと言われ、悩みました。
歌謡曲を演奏することでもっとたくさんの人に聴いてもらえるのでは、ファンになってもらえるのではとも思いました。
その後色々なステージがあり、もちろんピアソラばかりできるわけではないので、ピアソラ以外の選曲は、『必ずピアソラにつながるもの、つながっているも