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ozzy
2020年8月21日 07:30
そんなことが何度か続き、私は高峰の依頼人に対する姿勢を誇りに思うようになり、やがて絶対の信頼を寄せるようになっていった。 弁護士といっても、商売である。うまくやりぬくにはそれなりの経営判断も必要だろう。ただ、それを理由に法律家としての理想を易々と破棄するのはおかしいのではないか。私はそう思うようになり、そしてそれを行動に移す高峰を尊敬していた。✴︎ 私が入所してから二年ほどの月日が流れ
2020年8月22日 07:30
その言葉に若さゆえか私の中の温度が沸点まで達し、気づいた時には男の胸ぐらを掴んでいた。それは男の態度や依頼内容というよりも、私が敬愛する高峰に向かって汚い言葉を浴びせた事に対する怒りだったのかもしれない。「あんた、自分で言っていること分かっているのか」 確かに様々な依頼がある。しかしここまで露骨な不法行為はさすがに私でも許せなかった。「使いっぱしりに用はねえ言うてるやろ。おら、放せや」
2020年8月24日 07:30
正気の沙汰とは思えないその話に私は持ち前の安い正義感を全身に漲らせ、震えていた。 何が悪で何が正義か。その線引きすら危うくなっている昨今とはいえ、目の前でとうとうと語られる悪魔のような所業には正しさの微塵も感じられなかった。ただ、その時の私には悪魔に正々堂々と対抗できる知識や経験も無く、憤ることしか出来ないでいた。 私は私の気持ちが正しい事を確認するかのごとく、高峰に視線を送る。彼は今だ無
2020年8月25日 07:30
「先生。一体どういうおつもりですか。僕は見損ないましたよ」 口幅ったいとは知りつつも身勝手な不満をぶつけると、高峰は黙って一枚の写真とA4の書類を私に差し出してきた。そこには目鼻立ちははっきりしているが長い黒髪で地味な印象の女性が写っており、書類には彼女と思われる名前が記されていた。それは私の覚えた憤りに色を添えるほど生々しいものだった。「この方が、被害者の方ですか?」 私は震える声で高峰に
2020年8月26日 07:30
きりの良いところで仕事を終えて、私と高峰は夜の街へと繰り出した。高峰はただでさえ弱い酒を私が止めるのも聞かずに浴びるようにあおった。「以前、私が君に言った事を覚えているかい?」 私は頷きもせず、じっと高峰の目を見つめた。高峰の目は虚ろになっている。「君が言うとおり、私は仕事に私情を挟んでいるかもしれないなあ」 彼はそう言うと天を仰いだ。「それでいいじゃないですか。先生は間違っていません
2020年8月27日 07:30
翌日には前日からの雨もあがったが湿度は高く、黙っていても汗ばむ陽気だった。 昼食を終えてお茶をすすっていると、サイズの合わないTシャツにずり下げたジーンズ姿の蒲田が事務所へとやってきた。首にぶら下げているヘッドフォンからやかましく音楽が垂れ流されている。 私がお茶を運ぶと彼はソファにふんぞり返った。高峰が向かいに腰をかける。彼は簡潔に挨拶をし、丁寧に依頼を断った。「どういうことやねん。
2020年8月28日 07:30
取材は我が事務所で行われることとなった。さすがに取材を受けるとなっては部屋が雑然としている訳にも行かないと思い、私はいつもより早く出勤し掃除を始め、二時間ほどして高峰が出勤する頃には見違えるほどになっていた。高峰は事務所に入ると部屋の中を見渡し、目を丸くして表情を明るくした。「すごいねえ。やはり普段から整理整頓はしておかなければいけないな」「そうですよ。先生の欠点は仕事に夢中になりすぎること
2020年8月29日 07:30
「弁護士は依頼人の為に職務を誠実に全うしなければならないのはもちろんご存知ですよね?おたくの価値観だけで困っている人の依頼を断るって言うのはどうなんですかねえ」 高峰に笑顔が消えた。私も急な展開に頬が引き攣っていくのを感じる。記者が発した「依頼を断る」という言葉は明らかに会話の中から得た情報では無かった。 そこで私は察した。これは好意的な取材ではない。「色々調べさせてもらったけどね、おたく
2020年8月31日 07:40
もしかしたら私は初めからどこかで高峰を疑っていたのかもしれない。そもそも私のような猥雑で卑小な人生を送ってきた人間が高峰のような清廉潔白で使命感溢れる人格を容易に受け入れることができるのだろうか。そのような卑屈な考察も私の荒んだ人格を一滴でも掬い取ってくれるような人間は見たことが無かったからくるものだった。 高峰に不審な影が見つからなかった事で私は安堵の反面、記者の言葉を忘れる事が出来なかっ
2020年9月1日 07:30
夜になりようやく静かになった事務所で高峰はたまっている案件にとりかかっていた。私は彼のデスクに歩み寄った。「高峰さん」 それ以上、言葉が出なかった。高峰を疑った自分の愚かさ、浅はかさを呪った。彼は私を察し、再び力ないぼやけた笑顔を浮かべた。「大丈夫だ。人の噂も七十五日って言うだろ。君は気にせずにいたらいいんだ」 だが、高峰が抗弁しないのをいい事に記事は日に日にエスカレートしていっ
2020年9月2日 07:40
「黙ってちゃわからへんねん。やめて下さい、お願いします、やろ」 後頭部に蒲田の足が置かれ、そして押し付けられる。その拍子に首が曲がり、頬に床の無機質な固さが痛みに変わる。蒲田の後ろに居た彼の秘書と目が合ったが、彼女はすぐに反らした。「やめて下さい。お願いします」 言葉が微動している。まるで犬であった。いや、まだ犬のほうが尊厳を守られているであろう。まともな人間ならばこの場合相手を殴りつ
2020年9月3日 07:30
病院に運ばれ、高峰の死亡が確認された。警察の現場検証も行われ、自殺と断定された。 しかし、私の見解は違った。 これは紛れも無い殺人である。 巧妙に仕掛けられた罠に嵌められ、じわじわと追い詰められた末、彼は自らの命を絶った。これが殺人と言わずして何なのか。 見当違いとは分かっていた。しかし私は気持ちを抑えきれず、警察に猛抗議した。年配の刑事は私の話を全て聞き終えると、深いため息をつい
2020年9月4日 07:30
「この国で一日に何人の人間が消されていると思う?」 唐突な質問に私は虚を突かれ二の句が継げない。「今あんたの思った何十倍もいるんだよ。ただ公表されていないだけでな」 男はまるでその目で見てきたように言って煙草に火をつける。その様子は慣れていないのか妙にたどたどしい。「世界に存在する法治国家なんてもんは名ばかりだ。その看板掲げときゃ国民はおとなしくなるからな。だが世の中を動かしているのは金
2020年9月5日 07:30
それでも私は復讐の為に様々な手段を試みた。しかし到底私などのような弱者に出来る事は限られており、全てなしのつぶてに終わった。 男の言うとおり、どうやら蒲田はその大きさすらわからない権力を背景に私の手の届かない場所にいるようだった。マスコミはおろか、警察及び行政機関までもが私の告発を受け入れようとしない。八方を塞がれた私は理性を失い、錯乱した。✴︎ その日、蒲田が自ら経営する六本木のクラ